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鉄道の記録

EF57 7 (宇都宮市)

 JR宇都宮駅の東口に向かい ヨーロッパのトラムを思わせる芳賀・宇都宮LRTを横目で見ながら階段を降りる。 目指す駅東公園まで歩けない距離ではないが,LRTの試乗を兼ねて利用してみることにした。

 二つのの停留所「駅東公園前」で降りるが,公園に面しているわけではない。 停留所から交差点を北上する,しばらく歩いて信号のある交差点を過ぎると右手に駅東公園があった。 EF57はちょうどこの位置から対角線の反対側にあるので公園を横切って,一旦 公園から出て通りを北上すると左手にEF57が保存されていた。 屋根があって,周囲を金網で仕切られているので保存状態は良い。また,公開日があるらしく定期的に手入れもされているのだろう。

 設置されている案内板によると EF57-7は日立製作所で完成し浜松や沼津そして長岡を経て最後は宇都宮機関区で活躍したらしい,ここへ来る時に乗ってきたLRTの宇都宮駅がある辺りが元の宇都宮機関区だったはずで旧型電気機関車のぶどう色だけでなくEF65だったろうか青とクリームの新型電気機関車も配置されていたのを東北本線を仙台に向かう「急行まつしま」などから眺めた記憶がかすかに蘇った。

 2C-C2という,デッキの下に先輪が2軸ある大きな機関車で 直線から曲線に差し掛る時に動輪を曲線に導く役目を果たしていたらしいが EF62には先輪がないので蒸気機関車ならともかく動輪が分かれている電気機関車には必要無いのかもしれない。 また,パンタグラフが2号機からは取り付け高さを低くするために車体前後ではみ出して取り付けられているのも特徴の一つだ。 EF58にも先輪はあるが蒸気暖房を搭載する改造の際に先輪の上まで車体を被せたので,旧型電気機関車の形態を残しているのはEF59に改造されたものを除くと,このEF57-7しか残っていないので大事に保存していってほしい。

 このEF57の後ろはプールになっているので,夏場などプールが営業している時にカメラを向けていると誤解されるかもしれない,またこのEF57が保存されているところは銀杏並木が続いていて年末というのにまだ匂っていた。 ここを訪れる際には季節を考慮した方が良いかもしれない。 また駐車場が無いので自動車で訪問する場合も注意が必要だ,LRTを降りてから公園まで数分,EF57の場所までも10分程度なので駐車場を探するくらいなら電車と徒歩をお薦めする。

 

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鉄道の記録

クモエ21001(下野市)

 東北本線で小山駅から一駅、小山車両センターに隣接している小金井駅で下車して西口に出ると正面にC57の動輪がある。 これはアメリカ軍が東北本線の列車に機銃掃射が繰り返しおこなわれて亡くなられえた方々の慰霊碑だ。 その西口から正面に延びる道路を歩くと国道4号線にでて更にそのまま進むと左側にクモエ21001が保存さえれている日酸公園がある,駅から10分も歩いていないが途中の国道4号線の交差点での信号待ちが結構長いので所要時間は歩行者信号次第で大きく変わる。 因みに、日酸公園というのは日本酸素の工場跡地が命名の由来らしい。

2024年12月29日,もうすぐ新年を迎えるという日に この保存車両で初めて女性の先客さんがいらした。 台車の辺りを触ったりしながら見学されていて、これまで色々な場所で保存されている車両を見てきたが,公園で遊んでいる子のお母さんが暇で車両を眺めていたことはあったが 若い女性が車両を確認している姿は初めてだった。

 17m級電車であるクモハ11からの改造車両で,他にこの系統は名古屋のリニア・鉄道館にあるクモハ12くらいしか残っていないのではないだろうか。 ここのクモエ21001は盛岡工場で改造されたことが銘板でわかる,片運転台の車両を両運転台にして車両端部の乗降ドアを塞いて替わりに車体中央に機材や資材の出し入れをおこなうべく大きな扉を設けある。 救援車として旧小山電車区 つまり今の小山車両センターに配置されていた車両で,片側はホームが作られていて車内が見られるようになっているがガラスが汚れていてあまり良くは見えなかった。1エンド,2エンドと左側面は先ほどの女性ではないが柵も何もないので それこそ触れるくらい近くから台車や抵抗器などの床下機器などが見られる。 しかし、空気溜などがホームがあるために見えないことは仕方ないこととはいえ残念でもある。

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鉄道の記録

C50 123 (小山市)

 2024年12月29日,両毛線で着いた小山駅は改札前が東西連絡通路になっているので改札を出て左側の東口へと向かう。小山駅は通過線や待避線に番号が割り振られているので水戸線のホームは15番線と16番線という大きい数字になっているが15番線は行き止まりになっていて小山駅手前で左に分岐して東北本線の13番線との間を通り抜ける線路があってこれが14番線という扱いらしい,小山駅を通過して東北本線を宇都宮方面へ直通する列車はないし16番線は行き止まりではなく宇都宮方面へ線路が伸びていて東北本線に渡っていけるようになっている。 

 自由通路から地上に降りるとタクシー乗り場やバスターミナルがあって白鵬大学のビルが建っている。自由通路から左側(宇都宮側)の階段を降りた方が一般乗降場を通らずに済むので道路を渡りやすい,白鵬大学を右に見ながら進むと大きな通りに出るので,そのまま真っ直ぐ住宅街に入っていくとすぐに駅東公園がある。 駅の改札口を出て10分も経っていない。

 駅から来ると,目指すC50は公園の東南側にあるので公園内を通り抜ける。トイレや管理人室があってその先にC50があった。周りは金網で仕切られ屋根もあるので状態は悪く無いし下手な塗装もされてなく自然な褪色具合なのも良い,掲示によると月曜・水曜・金曜・日曜(年末年始は除く)の9時から12時に公開しているようだ。

 両毛線で活躍していた機関車の1台らしく,足利駅前にあるEF60と同じ123号機なのはあえて揃えたのだろうかEF60は高崎第二機関区だがC50は小山機関区だ。小山駅の南側で東北本線から水戸線が左に離れていくところにあったらしいが今は面影もない。結果的に梅小路機関区に蒸気機関車は保存されているが保存場所の候補地として争ったのがここ小山機関区で扇形庫もあったようだ。 

 両毛線や小山駅構内の入替で活躍したC50-123号機はゆかりの地で大事にされている。

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鉄道の記録

EF60 123 (足利市)

 残すところ2024年も数日となった12月29日,小山駅から両毛線に乗って足利駅に着いた 東京からは浅草駅から東武線でも来れるが目的の機関車はJR両毛線の足利駅前にある,その東武線で来ても両駅を結ぶ路線バスがあるので問題はない。

 昭和初期に建てられたという駅舎の北口改札口を出ると正面ロータリーにタクシー乗り場があって,そのまま左へ目を移すと駅前ロータリー,バス停の向こうにEF60が保存されている。高崎第二機関区に所属していたらしいので,両毛線ゆかりの機関車のうちの1台と想像できるEF60の5次型123号機である。

 駅前にあるので訪問するのは簡単だが,電車を乗り継いでこのEF60を見にくる価値は無いと誰もが思うのではないだろうか。EF60は他に碓氷峠鉄道文化むらに500番台の特急牽引用に造られたものが保存されている,しばらく見に行っていないがここまで荒れ果ててはいないはずだ。

 以前はパンタは両方上げられていたが今は降ろされている,正面も側面も車体は褪色が激しく錆もかなり浮き出ているし,側面の窓ガラスが割れ落ちていては機関車内部もかなり傷んでいることだろう。だが台車部分はさほど傷みもなくDT115-DT116ーDT115それぞれ詳細に記録することができた,砂箱から砂巻き管を何枚も写真に撮っていたら通りかかった高校生が不思議そうにこちらを見た,傷んだ鉄の塊を写真に撮ってどうすると思ったかな。その高校生が自転車置き場へ入っていったのを見て階段を登らせてもらえれば屋根上が撮れると思い 少し経ってから自転車置き場へ行って階段を登らせてもらいEF60の屋根上を確認したが,正面からとなるので畳まれたパンタがよく見えただけだった。

 JR東日本の「休日おでかけパス」や「ホリデーSuicaパス」は 2024年12月29日現在,両毛線は小山駅からこの足利駅までがフリーエリアとなっている。

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鉄道で道行

御殿場線(国府津- 沼津,2531M)

2025年1月2日、国府津駅から御殿場線に乗るため改札口にいた駅員さんに沼津駅まで行くけれど自動改札をSuicaで通って良いのかと聞いたら、大丈夫との返事なので改札機をタッチして通ったが終点の沼津駅の自動改札は通れなかったことについては沼津駅到着後に書いておくことにする。 ちなみに、国府津駅では改札口を出る際はJR東日本の自動改札機の脇に JR東海の出場記録機が設置されているので御殿場線で国府津駅まで来た時はJR東海の出場機を使えば問題なく改札口を通って出れる。

国府津駅は海側に単式ホームで小田原寄りに改札口のある1番線が下り線、島式になっている2番線も東海道線の下り用になっていて4,5番線の島式ホームが東海道線の上り線用になっていて、東海道線の上下線に挟まれた3番線が御殿場線専用となっている。 沼津駅行き2531Mも この3番線に停車していた。

国府津駅←[クモハ313-1305]+[クハ312-1305]→沼津駅、という編成で所属は静岡車両区の313系1300番台,2両編成で9時10分国府津駅を定刻に発車した。 正月なので帰省する方やハイカーの方、そしてスーツケースを持った海外からの旅行者と様々な目的を持った乗客を乗せた2351Mは、国府津駅を出た時点で座れない方が大勢いらした。 国府津駅を出ると、高架で東海道線の上り線を越え 左側に国府津車両区センターへの出入区線を従えて進み国府津車両センターを過ぎるとやがてJR東海が管理する島式ホームの下曽我駅に9時15分到着した、この駅は東京近郊区間から外れるためにこの駅までの100Kmを超える乗車券であれば途中下車が出来る。 ホームから改札口へは地下通路を通るようだ、数人の乗降客があり対向列車の到着を待ってこちらが先に発車した。 上大井駅まではほぼ直線で家も多く立ち並んでいる、定刻の9時19分に到着した相対式2面式の駅舎のある1番線、つまり右側のホームに着いた、跨線橋は見えず構内踏切を使って2番線へ渡るようなので対向列車待ちがない場合は駅舎側ホームを使うのだろう、この駅でも数人の乗降があった。 相模金子駅は単式ホームがぽつんとあるだけの駅だが住宅地の中にあって乗降客もかなりあった。

右手の山間に東名高速が見えだすと、やがて小田急線を越して右側から小田急線との連絡線が合流すると松田駅になる。 単式の1番線と島式の2,3番線があって沼津駅行きの御殿場線下り列車は3番線に定刻9:26到着した。 小田急線からの乗り換えだろうかかなりの乗客がおられ、2両編成の2351Mは超満員となったためか通風機が動き出して送風を開始した。 新宿駅からは国府津駅経由でJR線を利用してもさほど所要時間は違わないと思うが、料金は大きく違うだろう。

定刻の9時27分松田駅を発車。 やがて山裾を進むようになり左手に酒匂川が見えてきて右手に国道246号線に沿って進むと単式ホームの東山北駅に着く。 ここからいよいよ山間部に入る、左に大きくカーブして線路脇に染井吉野が植えられているのを見ながら山北駅に着く。 ここから御殿場駅に向けての急勾配に対してD52などの補機をつなぐための山北機関区があり給水や給炭設備もあったらしいが、いまはその機関区跡にD52-70号機が山北鉄道公園として保存されているのだが、空気圧で時々動かしているらしい。 南側の2番線の先にD52が見えるが、この2番線側は一線スルーになっていて小田急の特急列車通過のためだけに直線化したのだろうか。 跨線橋で北側の駅舎に行けるが、なんと島式ホームの国府津駅側先端からD52のある南側に向かって構内踏切があって出入場機まで設置された南口があった。 かなりの乗客を降ろした山北駅を定刻の9時35分にでた2351Mはかつての急勾配にいどみはじめた。 山北駅が約100mに対し御殿場駅は標高450mくらいある。 

かつての東海道本線は地形に逆らい山間部をトンネルでいくつか超えて、谷間を蛇行しながら流れる酒匂川を何回か渡り神奈川県最西端になる谷峨駅の相対式で駅舎のある1番線に着いた、2番線へは構内踏切を使うようだ。 東名高速が頭上を横切るが、この谷峨駅の対岸にある山を貫いているのが渋滞情報でよく耳にする東名高速都夫良野トンネルであり、その奥が西丹沢になる。 さらに列車は登り、トンネルをいくつかすぎて静岡県に入る。 金太郎といってもEH500ではなく足柄山の方で有名な駿河小山駅に9時45分1番線到着、島式ホームの反対側2番線には対向列車が先着していてこちらの到着を待って出発していった。 工場や発電所などが目につくがやがて田畑も多くなり谷間を走ってきた御殿場線の視界も大きく開けてきたが 御殿場駅まではまだあと200m弱登らねばならない。 元は信号場だった足柄駅は島式ホームだが駅舎は木材がふんだんに使われた立派なコミュニティセンターを兼ねていて構内踏切でホームとつながっていて、列車を降りた方々が渡って行った。

足柄駅を出てしばらく走ると歓声があがった、今日は快晴で雲一つなく富士山が良く見えたのだ、新幹線からよりもかなり近いのでとても大きい。 ちなみに、1月2日だからか道路が渋滞していたが前の席に座っていた女性によるとアウトレットへ向かう道らしく、ここから渋滞してたらいつ着くかわからないとのことだった。 富士山を右手に見ながら住宅が増えてきたところで左にカーブするといよいよ御殿場線最高地点の御殿場駅だ、D52-72号機が右手に見えたらもう駅構内である。 橋上駅で1番線が単式の上り線ホーム、島式の2,3番線が主に下り線のようで、2番線は沼津方面への折り返し用か。 3番線の外に留置線が2本あった、夜間滞泊があるのかもしれない。 沼津駅からの帰りにこの御殿場駅で下車したが 駅員配置駅で切符売り場もあったけれど正月だからか外国からの旅行者で長い行列が出来ていた。

乗客の半数以上が下車し、いくらかの乗客があったにせよ通勤電車状態は解消されて送風機も止められた2351Mは中央本線の始発駅になれなかった御殿場駅を10時4分、座りきれない乗客を乗せて3番線を発車した。 ここまでも数回あったが、JR東日本エリアからSuicaで乗ってきた場合は駅の精算機で清算するようにとのアナウンスがあった。 郊外へ出てしばらく走ると単式ホームの南御殿場駅で富士山側にホームがあり、お一人乗車してこられた。 御殿場駅まで登ってきた分降りるわけで、乗っていてもわかるくらい下りはじめて富士岡駅10時11分到着。 今は、島式ホームになっているが元はスイッチバック式の駅で富士山側にある水平に近い引き上げ線後にホームがあったようだ。 東名高速の向こうに駅名のとおり富士山がよく見える、景色を眺めているうちに対向列車が到着したので、こちらが先に10時14分発車した。 林の中を走るのでわかりにくいが自衛隊の駐屯地やトヨタ自動車の研究所の近くを通り抜けて、やはり昔はスイッチバック式だった岩波駅に到着した、周りは住宅地でわずかに築堤の跡が残っているが勾配の途中であることはあまり感じられない。 単式ホームが2つという構造になっているが、これは元々島式ホームだったところにもう1本単式ホームと駅舎を作って、島式ホームの片側だけを利用するようにした構造のようだ、駅を出ると右手に築堤が続いていたのでここがスイッチバック駅だったころの名残だろう。

次の裾野駅までの間に車掌が車内精算のため巡回してきた。 途中には無人駅も多く出札口や券売機がないという場合もあるだろうが、ワンマン運転の列車もあるわけでその場合はどうするのだろうか。 JR東日本からの乗り越し客のための精算だけとも思えないし、無賃乗車対策だろうか。 市街地を抜けて島式ホームの裾野駅2番線に到着、箱根側の側線に保線車両が停留していた。 ここでも対向列車が先着していて、こちらの到着を待って出発していった、御殿場駅から沼津駅間はかなりの列車頻度で運転されているようだ。 次の長泉なめり駅は長泉町の納米里という場所にあるのでこの駅名になったらしい、この辺りまで降りてくると標高は100mを下まわって平野部に出てきている。 市街地が途切れることはなくなり初代三島駅だった下土狩駅に到着、島式ホームで沼津駅行きは1番線を使っている。 三島駅だった頃はこの駅から伊豆箱根鉄道も出ていたようだが、丹那トンネルが通じて東海道線が熱海経由となって三島駅が新設された時に伊豆箱根鉄道も移ってしまったようで、地図で見ると大きく右カーブして現三島駅に繋げたのがわかる。 新幹線をくぐると、大岡駅に着く、ここまで定刻で走ってきて御殿場線最後の駅である大岡駅は単式ホームが1本あるだけの小さな駅だがかなりの乗客があって再び満員となって終点沼津駅に向かう。

しばらく走ると左側に留置線が見えてくる、沼津運輸区だ、ここは乗務員の基地だが留置線には多くの車両が待機していた。 留置線がなくなっても沼津駅へ向かって複数の線路が続き、左側から東海道本線が合流する辺りの北側にはかつて沼津機関区があったが再開発されて面影はない。 列車は沼津駅5番線に定刻の10時41分に到着した、沼津駅は島式ホームが3本あって、1,2番線が東海道本線の下りで 3,4番線が東海道線の上りで使われるが三島駅発の御殿場線乗り入れ列車は渡り線の都合で5番線に入れないため3番線で折り返して御殿場線に沼津運輸区構内で転線するようだ、そして今回到着した5,6番線が御殿場線ホームとなっている。 ホームの静岡駅側に跨線橋とエレベーターがあって、熱海駅側は地下通路となっていて それぞれ南北両改札口へ通じている。 その改札口で、国府津駅をSuicaで入ったが自動改札機は通れなかった、御殿場線内のTOICA対応の駅では必ず出場記録機を通すようにアナウンスがあったがそれは国府津駅で東海道線から乗り換えたSuicaを使う乗客向けではなく、JR東海内でのつまり御殿場線内のことかと思い国府津駅の改札通って御殿場線に乗ったので沼津駅など大きな駅の自動改札機では通れるのかと思ったが通れなかった。 山手線内や東海道線からSuicaで乗ってきた場合改札口の精算機で精算できるという車内アナウンスが何度ももあったので、正しくは改札口脇の精算機でSuicaを入れて精算するのだが、国府津駅で改札口を通ったとしても沼津駅の自動改札機は通れない。 逆に、JR東海エリアから御殿場線に乗って国府津駅で下車して改札口を出たい時はJR東海の出場記録機があるので、それに通して駅員のいる出口から出れば良い。 

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鉄道 鉄道の記録

9667(高萩市)

2024年8月11日、福島県いわき市まで車で向かう途中 高萩市に寄ることにした。 常磐線の高萩駅から1キロくらいの距離だがバスが通っていない、今回は車なので真夏の炎天下でも訪問することが出来た。

国道六号線を北上し、日立市から高萩市に入ると左手に常磐線が近づいてくる。 市街地に入り「高浜町一丁目」という交差点の右手前側が高浜スポーツセンターや勤労青少年ホームという施設になっていて、その一角 交差点の角に9667があった。 国道から海側へ入ると駐車場が左手の高萩中学校沿いにあった。 中学校の駐車場かと思ったが、ちょうど車を停めた方がいらして尋ねたらスポーツセンターの利用のためとのことだったので、SL見学だが停めさせてもらうことにした。

土手というほどではないが、盛り土の上に展示されている。 周りは有刺鉄線で囲まれていてその隙間から撮影するため、盛り土の上に上がってみた。 
正面から見れば、キャブ屋根を覆うブルーシートが隠れて他の保存機よりも塗装の剥がれなどがないことから綺麗に見える、しかし側面に回ると所々傷んだところが目立つ。 置かれた場所も草が伸びて荒れ果てている上に海がすぐ近くなので潮風の影響も大きいことだろう。

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鳴門線(徳島-鳴門,968D)

C12をいくつか見てきたので、今度はC11を見に行くことにする。 5月4日、阿波海南駅から牟岐線に乗って徳島駅に到着したあと、鳴門線の発車までは時間があるので一旦,改札口を出て駅前で遅い昼食を済ませることにした。 駅ビル内や駅前には食事が出来るところが多くあり困らないが、逆にどこにするか迷ってしまった。

連休中なので下校時間になっても混雑はしないだろうとの判断で15時ちょうど発の鳴門駅行きに乗ることにする。 徳島(とくしま)駅4番線では見慣れたキハ40と47のコンビがエンジン音を唸らせて待っていてくれた,鳴門駅←[キハ40-2144]+[キハ47178]→徳島駅の2両編成で「四トク」JR四国の徳島運転所所属だ。 キハ40は両運転台でワンマン運転対応になっているがトイレが撤去されていて,単行で運行する時はトイレ無しとなる。 朝,2両編成で徳島駅に到着した列車が乗客下車後数メートル切り離されて,鳴門線と牟岐線に分かれて運用されているのを見たことがあるがキハ40ではなく新型の気動車だった。

車内はさすがに古いがドア付近のロングシートを除きクロスシートで,このキハ40はシートピッチがそれまでよりも広げられているので空間は快適であるが,座り心地は致し方ない。 25人ほどの乗客を乗せた968Dは,定刻15時ちょうどに徳島駅を発車した。 鳴門線は池谷駅から鳴門駅までをいうので、徳島駅から池谷駅までは高徳線の列車ということになる、そのため高徳線は徳島駅から高松駅へ向かう列車が上りとなることから鳴門線直通の鳴門駅行きは上りとなるが,鳴門線の始発駅は池谷駅なので厳密には鳴門駅行きは下りとなるのが正しいが高徳線に乗り入れて徳島駅まで直通する列車が多いことから高徳線での上り下りのまま走るのだろう。 徳島駅構内から延びる線路は2本あり、左側が徳島線で右側が高徳線なので佐古(さこ)駅までは複線のように見えるが単線並列区間で左側に線路を見ながら高架を登り島式ホームの佐古駅2番線に定刻の15時02分に到着した。 徳島駅を出て最初の駅だが,ここで10人ほど下車していかれた,高架から見下ろせば徳島市街地が続いていて区間利用も多いのだろう,ここから4人ほど乗車された。

高架の佐古駅を定刻15時03分に発車し,そのまま高架から降りずに街や畑を見下ろしながら走って吉野川の支流である鮎喰川を渡り、さらに吉野川橋梁を渡る。 長い鉄橋を渡り、田畑が目立ってきて15時08分定刻に吉成(よしなり)駅に到着した,4人降車されたが乗ってこられた方はいらっしゃらなかった,構内の広さから駅舎前に単式ホームがあって島式ホームもあったような広さだが、島式ホームの3番線は廃止になって事実上の相対式ホームとなっていて、駅舎前1番線は一線スルーで968Dは対向列車待ちをするため2番線に到着した。 15時12分、徳島駅行きの特急うずしお15号の通過を待って定刻15時13分に吉成駅を発車した。 田んぼのようだが蓮根畑だろうか田園地帯を走ると右手に大きな高校があって,勝端(しょうずい)駅に定刻15時15分到着,この駅も相対式ホームになっているが吉成駅と異なり駅舎前の1番線ではなく2番線が一線スルーになっているので,列車通過待ちをする場合は駅舎前の1番線に停車するので跨線橋を渡らずに済むようだ。 また,吉成駅は無人駅で車掌が集札をしていたが、ここ勝瑞駅には出札掛が居るようで車掌はホームに降りなかった。 この勝瑞駅は藍住町に属していて徳島市ではない,藍染めの産地で町名にも藍という文字が入っている。

 さらに田園地帯を進み,島式ホームが二つV字型に並んでいる池谷駅に定刻の15時19分に着いて3人ほど降りられたが,この駅には思いもよらず大勢の乗客がおられ必死に数えて25人乗られたのを確認できた。 無人駅で,西側の高徳線が1・2番線で東側が鳴門線の3・4番線となっていて跨線橋は徳島駅寄りのホーム南端にあって駅舎に向かう為の降り口もあって,上空から見るとカタカナのヨという字になっているがホーム幅が狭いためにホーム中ほどの駅舎近くには作れなかったのだろうか,跨線橋には屋根が無いので時間があればこの跨線橋から列車撮影をしたいものだが,今日は先を急ぐ。 968Dは3番線に到着して鳴門駅から来る対向列車を待ち合わせて15時23分発車した。因みに,この池谷駅はもう鳴門市内である。

左手に街道沿いの集落,右手に蓮畑を眺めながら進むうちに鳴門鯛の酒屋さんを過ぎると阿波大谷(あわおおたに)駅に15時25分定刻に到着したが,この島式ホームに列車を待つ人も降り立った人も居なかった。 そのまま25分に発車して,同じように右手に蓮畑を眺めながら走るが左手は家や藪が途切れた開けたところで見ると小高い丘になっている,南側はずっと開けているので遠くに見えているのは眉山なのだろうかと想像している間に立道(たちみち)駅に15時29分に到着した1分延着,お一人ホームに待っておられる方があって列車からはお一人降りられたので車掌さんの出番があった。

立道駅を15時30分に1分遅れで発車すると、頭上を高速道路が横切る,神戸市から海を渡って繋がっている高速道路だ,神戸や大阪へ向かう高速バスが徳島駅前に停まっていたがそれらはここを通っていくのだろう,徳島から神戸や大阪へ鉄道というのは岡山駅経由になってしまい料金面ばかりでなく時間的にも不利だ。 やがて列車は教会前(きょうかいまえ)駅に到着しお一人降りられた,ここも単式ホームで15時32分の1分遅れのままだ 。

一分遅れのまま出発し,やはり1分遅れのまま金比羅前(こんぴらまえ)駅に15時35分到着したが,ここでは単式ホームに降りた人は居なかった。 ここは駅名通り,近くに金毘羅神社があるようだ。 この辺りでも線路脇の藪から枝が伸びてきていて列車に当たって大きな音をたてることが度々あったが保線作業で勝手に切ってしまうことも出来ないのだろうが,窓ガラスが割れなければ良いのにと心配になる。 遅れたまま発車すると右手に川が寄ってきて川沿いを少し走ると撫養(むや)駅に1分遅れて到着した,ここも単式ホームで起点の池谷駅と終点の鳴門駅を除いて全てが単式ホームだ。 この辺りから市街地となり鳴門駅が近いことがわかる,左に大きくカーブしてATSが鳴動し始めて15時40分に終点の鳴門(なると)駅に到着した。 鳴門駅は終点なので島式ホームの先端部から地上に降りて駅舎へと進むようになっている,以前はこのような構造ではなかったような気がするが記憶が定かではない。駅舎側が1番線で列車は2番線に到着した。

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牟岐線(阿波海南-徳島,4552D)

2023年5月4日のみどりの日、座りきれないほどのお客さんと共に徳島駅発の4533Dで阿波海南駅に着いた。

この阿波海南駅(あわかいなん)の単式ホームから牟岐線普通列車4552Dとして折り返すのは1200系気動車[1256]両運転台付で徳島運転所の所属。 トイレが付いていて、その前のところは一人掛けのクロスシートで徳島駅行きでは最前席となり、展望特等席だ。 列車番号が4552Dと4000番台の列車はワンマン運転だ、車掌はもちろ客室乗務員も乗らない。 ワンマン運転の列車で、乗車時に乗車券を運転士に渡すなど間違った情報があったり、バスと同じとだけ書いてあるのをみて都心部のような均一料金のバスに乗る時と同じと勘違いされる方も多い。 JR四国の公式ホームページでワンマン運転の列車への乗り方を探してみたが見つからなかった、無人駅から乗る場合、JR四国の無人駅には券売機やJR東日本のように乗車駅証明書発券機が無いので、列車が着いたら車両の後ろよりのドアから乗車し乗ったらそこにある整理券発券機で整理券を取る、乗車券や定期券を持っているとしてもどこの駅から乗ったという証明のため整理券は取った方が良いと思える、JR四国がワンマン運転について乗降方法を公式に案内していないために取るべきかどうかの判断材料がないので、乗車口ドアが開くと整理券を取るよう車内放送が流れるので、乗車券や定期券を持っていても取っておいた方が良いと思う。 そして無人駅で降りる時は有効な乗車券があれば運転士に渡し、定期券があれば運転士に見せて、それ以外であれば運賃表示器から乗った駅からの料金を確認して現金を運賃箱に入れる。 その際、一部のバスのように整理券と多めの料金をいれたら自動でおつりが出てくることはないので両替してから現金を入れないと、おつり分をJR四国に寄付することになる。 徳島駅など旅客駅(無人駅や委託駅でない駅)にはJR四国の駅員が居るので、これらの駅では運転士あるいは乗っていた場合に車掌が乗車券の受取や現金のやり取りはせず、改札口で乗車券を渡すか定期券を見せて通るか、精算所で現金で精算して改札口を通ることになる。 乗車券を持っていなければ、ワンマン運転なら下車する駅に着いたら払う、車掌が乗っていれば乗車したら車掌から乗車券を買うだけのことで難しいことはなく、乗車できるドアはどれかの判断と半自動ドアだった場合ボタンを押さないと開かないことに気を付けていれば牟岐線に乗れる。 

出発信号が青に変わり、12名の乗客を乗せた4552Dは12時8分定刻に阿波海南駅を発車した。 半島部をトンネルで抜けて順調に走り、12時10分浅川駅(あさかわ)に到着、右側に単式ホームがあるだけで山の中に感じるが実際には木々に囲まれて森の中にあるだけですぐそこに集落があり海も近いようだ、1人乗車されて12時12分発車。 トンネルの中で運転席の速度計が80キロを指している、いくつもトンネルをくぐり抜け森の中をしばらく走ると入江が時々見えて単式ホームの鯖瀬駅(さばせ)に12時15分到着、ここも右側にホームがあるのだがそのホームの先に太平洋が見えた、ここでも1人乗車された。 徳島県の太平洋岸はリアス式の断層海岸が続くが、この辺りには大きな入江があり港があって集落があるので駅はおのずと海の近くに出来ている。 再びトンネルで半島を抜けると海が見えた、今日は天気が良くて海がとても綺麗だ。 と海を眺められるのも一瞬で、また森の中を走りトンネルになるが 下って住宅地に出た時、阿波海南駅を出てから最初の踏切を通過した。 ATSが鳴動し、やがて12時20分、牟岐駅(むぎ)に到着、島式ホームの2番線で駅員の居る駅舎へは構内踏切で行くようになっていて、側線が3本もあり牟岐線で最南端の列車交換が出来る駅で、ここから阿波海南駅までが1つの閉塞区間となっている。 ここで初めて1人下車されて3人が乗車されて12時23分定刻に発車した。

街をすぎると、国道と川にそって走り田んぼの広がるところへ出た。 そのまましばらく里山と田んぼの境目を走ると、田んぼの中で制限60キロの左急カーブの途中にある辺川駅(へがわ)に12時26分到着。 再び森の中へ入ったかと思えるが木々が途切れた所から、人家や田んぼそして国道が見えるので、里山の端を走っていることが判る。 谷間が開けたところで12時33分山河内駅(やまがわち)に到着、ここも単式だが左側にホームがある、昔はもう1本線路があったと思わせる広さがあるが、乗降客は少ないので縮小されたか、この列車へでの乗降客は居なかった。 発車すると大小のカーブで車体を左右に揺らしながら、速度を上げて時速80キロで快調に走り、下り始めると家並みが続くようになりATSが鳴動して、日和佐駅(ひわさ)に12時40分着、2分遅れ。 相対式で、海側の1番線に駅舎があってホーム途中にある構内踏切で2番線に渡ってこれる、到着した2番線は元は島式で3番線があったのだろう、JR四国の時刻表によると3番線からの発着は無い。 20数人が乗って来られて、8人が降りられた。 混みあって来た4552Dは12時42分に出発信号の進行現示を確認して発車した。 

左に徳島県最後の霊場、薬王寺が見えて、さらに川沿いの開けた所を走って、北河内駅(きたがわち)に12時44分着、ここも単式ホームがあるだけで、乗降なしだった。 ここを出ると、山間に入っていく、トンネルがいくつもあってかなり登ってから下り始めて、左に大きくカーブしてまたトンネルをくぐると、右にカーブして単式ホームの木岐駅(きき)に12時49分到着、お一人下車されていった。 ここでも、またトンネルで半島を横切り海沿いに出ると、海に近い臨時駅田井ノ浜駅(たいのはま)を12時51分通過、海が近いというより砂浜に駅を造ったようだが、夏の短い間だけ営業する臨時駅にしておくのはもったいない風光明媚な所だ。 トンネルの中でATSが鳴動して、トンネルを出たらすぐ由岐駅(ゆき)に到着、Y字に分岐して相対式ホーム左側に12時52分到着、駅舎のある反対側ホームには普通列車が先着していて、初めての列車交換となる。 乗降客はそれぞれ1人づつだった。

由岐駅を出ると、すぐに登りになりトンネルに入る。 ここを時速90キロとかなりの速度をだして登りきると、いっきに下り人家が見えてくると阿波福井駅(あわふくい)に到着、単式になっているが元は島式ホームだったものを駅舎側ホームの線路を撤去して構内踏切を設置しないようにしたものと思われる、側線だった側を残しているので、駅への進入時に分岐だったところで大きく曲がってからホームへ入るようになっている駅に12時59分着、2人が列車を待っておられた。 半島を横切っているので近くいわけではないが、この阿波福井駅のはるか東、半島の突端に蒲生田岬があり、ここと和歌山県の潮岬を結んだ線が日本の法律では瀬戸内海と太平洋の境界となっている、つまりこのあたりから瀬戸内海沿岸ということだが海ははるか遠くだ。 平地に出て左右が開けてくる、線路は田んぼの真ん中を通っているが、離れた所に人家は続いていて、その人家が集まってきたところで新野駅(あらたの)に13時3分に着いた、ここも単式ホームで二人降りて行かれたが、8人乗って来られた。 平地から外れてトンネルに入り山を一つ越えると、また開けてきてしばらく走ると黄色を点灯させた信号機があった、列車交換できる桑野駅はもうすぐだ。 Y字分岐を左に入り、桑野駅(くわの)駅舎側1番線に13時8分到着。 折り返し列車もある駅で3人乗られて2人降りられた。 

平野部を時速90キロで快適に走り、13時13分阿波橘駅(あわたちばな)の単式ホームに着いた、1人降りて4人乗車。 ここも、島式を片側廃止にしたようで、駅舎側の線路を撤去しているので、駅構内に入る際大きく逆にカーブすることになっているが、構内踏切を廃止出来て安全か。 家と田んぼが交互に続く中を走って単式で駅舎の無い見能林駅(みのばやし)に13時17分に着いたら、大勢の高校生が列車を待っていた、17人乗ってきて、3人降りられた。 市街地が続き大きな建物が見えてきてATSが鳴動して阿南駅(あなん)に到着したのは13時21分だった。 この阿南駅は橋上駅で相対式ホームになっていて1番線に着いた、全てのドアが開いたようで乗降者数を数えられなかったが、ホーム進入時に待っておられた方は4人だけだった。 数分停車している間に乗って来られた方がかなりいただろう。

牟岐線は、パターンダイヤ化されているようで阿南駅から徳島駅へ向けては日中26分と56分で30分毎に発車するようになっている、毎時何分に出ると判っていれば利用しやすくて便利だ。 4552Dは阿南駅の停車時間で遅れを調整して13時26分定刻に発車した。 駅を出て、しばらく走ると川を渡りきると田園地帯になった。 さらに、大きな那賀川を渡ると左にカーブして13時29分阿波中島(あわなかしま)左側に単式ホームがあって、お一人列車を待ておられた、続く西原駅(にしばら)には13時32分着で、ここでもお一人乗車された、右側に単式ホームだった。 田園地帯で家が点在している中を走ると信号機がありATSが鳴動して、列車交換が出来る島式ホームの羽ノ浦駅(はのうら)2番線に13時36分到着、対向列車が先着していた。 4人下車され、4人乗ってこられた。 区画の整った住宅地や団地を過ぎると、田んぼの中にでて、左側だけに家が集まってくるとY字に分岐して列車交換が出来る立江駅(たつえ)に13時39分到着し2人下車された、Y字分岐はスプリングポイントのようだ。 川を渡ったところで崖下にある阿波赤石駅(あわあかいし)に13時42分到着し4人を乗せた。

再び川を渡り運河のような河川と並行する、少しづつ細くなるので農業用水路か、右側には家がつづくが左側は田んぼが広がるが、小さな川を渡ると両側に家が建ち並ぶと列車は速度を落として南小松島駅(みなみこまつしま)に13時46分着。 島式ホームの2番線で3人乗って4人降りられていった。 この駅では列車交換だけではなく、徳島駅行きの特急を普通列車が待つことがあるようで、朝に1本だけ徳島駅行きの1番線発着がある、その1番線に発車時刻の13時49分を過ぎても対向列車が来ないので発車できないで待っている。 この駅で降りて、川を渡った先に旧小松島駅があってそこにC12が保存されている、途中には蒲鉾店がいくつかあって海辺を感じさせる街並みが続く、廃止になるまでは市の代表駅は小松島駅だった。 手前の羽ノ浦駅とここ南小松島駅は旅客駅扱いだが土日や祝日に駅員は不在となる

対向列車、阿波海南駅行きがよっやく到着して13時51分に南小松島駅を発車した。 少し田畑があるが住宅の続くなかを走ると中田駅(ちゅうでん)に2分遅れて13時53分到着、3人降りられて6人乗って来られたが、なんとそのうちの1人は車掌で運転席脇に陣取られた。 島式ホームで行き違いが出来るが駅舎側に側線が残っていた、この側線のあたりから小松島線が出ていたのだろうか、それにしては廃止されてからかなり経つ。 発車後「二分遅」を運転士のあと「二分遅」と車掌が繰り返していた。 田んぼに集落が点在するなかを走り、左側に小高い丘をすぎて13時58分に地蔵橋駅(じぞうばし)にY字分岐の片側を廃止したような曲がり方で単式ホームに入って橈尺し、3人が乗車された。 

地蔵橋駅は徳島市にあるので、このあたりはベッドタウンなのだろう住宅地が続き、川を渡ると文化の森駅(ぶんかのもり)に14時2分到着。 堤防の高さのままで単式の高架駅になっているが片面は田んぼで広々としていて森は見えないし、ホームのある側は住宅地で遠くに山が見えるだけだ。 乗降客は無く、2分半遅れのまま発車した。 工場や大型店舗、そして住宅が続く中を走るとATS鳴動して島式ホームの二軒屋駅(にけんや)に2分遅れの14時4分に着いた、島式ホームで側線が1本ある。 ここで対向列車を待つが徳島駅発14時ちょうどの列車だろうか、牟岐線の徳島駅発は日中0分と30分に統一されているので発車時刻は覚えやすい。 14時7分、対向列車の到着を待って発車したが、乗降客は数分停車してもいなかった。 住宅の間を抜けるように進み阿波富田駅(あわとみだ)の単式ホームに14時9分に着いた、ホームのある線路右側(海側)の方に徳島絵県庁があるらしいこの駅では3人が降りられた。 左にカーブすると右側に側線が何本も分かれていき徳島運転所に停留中の気動車が見え始めると、徳島駅構内だ。 場内信号の3が黄色を現示していて、そのまま徳島駅3番線に14時14分に着いた、駅改札口があるので徳島駅では車掌が料金精算や乗車券と定期券の確認は行わないので、改札口脇の精算所には長い列が出来たが、フリー乗車券を持っているので改札口へ直接向かった。

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鉄道の記録

C12 280(小松島市)

2023年5月4日、牟岐線の南小松島駅で降りた。 小さな駅舎を出て、駅前広場の左手正面ではなく右側へ回りこんで道路を渡りそのまま通りに入っていく。 実際には、右でも左でも川に突き当たるので同じことだが、川を渡る橋は海沿いのあるので右側を 歩いた方が少し近い。 かすかに潮の香りを感じつつ大きな橋を渡る右手遠くに島のように見えるが、実際には湾になっていて対岸が見えてるが遥か遠くだ、渡り切ると交差点左手に木々に囲まれた一帯が見えてくる、ここがステーションパークでこの中にC12-280がオハフ50を従えて展示されている。

森の中に入っていくと、大きな狸がある(かなり有名らしい)。 さらに進むと、右手にC12が見えてくる。 廃線跡に沿っているのではないから、新しく線路を敷いて駅を模したホームを作ったのだろうか、姫路市のC57と違ってここはホームに上がれるしベンチもあり、散歩途中の方々が休んでおられたが駅のホームで列車を待つ姿のようだ。 さてC12だが、かなり痛んでいて錆びて穴も開いているところも多い、海が近いわりにはまだ保たれていると考えるべきか。 

模型製作の資料として撮影するので、錆びていても形さえあれば良いのだが一部欠損していたり錆びて朽ちてしまっているところがあって、保存することの大変さを感じた。 シリンダー尻棒が無い、これくらい大きな部品であれば朽ち果てたのではなく最初から付けられていないと判断できるが、小さい部品や配管などは判断が付かない場合が多いので、いくつもの保存機を訪ねて資料を増やしていくしかないのだ。 ホームに上がれるので、一脚+セルフタイマーという技を使わずに煙突やドームなどを近くから撮影できるが、キャブのガラスに格子が当てられているのは24時間だれでも近寄れるから仕方がない、キャブ内の撮影は諦めることにした。

ここのC12はオハフ50を従えている。 小松島線で実際に走っていた車両を青く塗りなおして展示しているが、ガラスに何か貼ってあるのか車内は見えない、車内は京都鉄道博物館で確認できるから、ここでは片側だけだが床下の装備や配管などを記録した。  

最後に、徳島駅からここに来るにはJR牟岐線で南小松島駅まで来て駅から少し歩く方法と、徳島駅前から徳島バスに乗って、ステーションパークの近くにある徳島赤十字病院まで来る方法がある、料金を調べたところ330円で同じだった。 道路の混み具合にもよるだろうがバスはおよそ30分位かかるようで、20分弱JRに乗って10分位歩くのと時間は変わらない。 今回は、牟岐線や鳴門線などに乗るから「四国再発見早トクきっぷ」を買ってあるので、JRにした。 休日限定だが、JR四国の普通列車に乗り放題の切符は、ワンマン運転などのローカル線で都度精算しなくて済み手間が掛からない、途中駅で降りる場合よりも徳島駅などでは車内清算ではなく精算所に並ぶことになるので時間がかかるが、これがあれば改札口をそのまま通れるので時間短縮にもなるし、阿波海南駅から徳島駅まで牟岐線全線完全乗車するだけで1,830円かかるので、往復するだけで充分もとが取れる。 

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鉄道の記録

68692(徳島市)

この機関車は、JR徳島駅の裏にある。

たった一行で終わってしまうが、実際に駅から歩いて行ってみたことを記しておくことにする。 徳島駅ビル・クレメントプラザを出ると左手にタクシー乗り場があり、もっと左側に高速バスや路線バスのターミナルが広がっている。 駅ビルを出て、左側に進んでタクシー乗り場やバスターミナルを右手に見ながら進むと、右手にダイワロイネットホテルがある。 これも右手に見ながら歩いていくと、左側の建物が地上駐車場となって、この駐車場越しにJR牟岐線の線路とその奥に徳島運転所に停留する気動車が見える。 目指す機関車はその奥の森の中にある。

NHKの前を過ぎると、跨線橋がありこれを渡る。 跨線橋は徳島運転所から少し離れているので車両を撮影するには望遠レンズが必要になるが、牟岐線を撮影するには線路がカーブしているのでちょうど良い位置になる。 渡り終えると、そこは徳島中央公園、左側に売店をかねた食堂が二軒もあり美味しそうだったので昼食を済ませてきたことを悔やみながら奥へと進む、売店を過ぎると左手奥に徳島運転所の気動車が見えるが、そちらの方向ではなくて少し森の中へ公園の中へ入るように広い通りを道なりに行くと68692が右手に見えてくる。

機関車の右側はフェンスで遮られて、更にランボードから下は金網が張られていて厳重に守られている。 正面に回ると、左側は駅舎やホームになっていて機関車のところまで行けるようになっている。 という事は、68692のシリンダーやロッド、テンダーの台車などは左右いずれも見れないということだ。 この機関車は小松島線で走っていたものらしく、ホームには当時まだ阿波富田駅が無かったのだろう徳島駅の次は佐古駅と二軒屋駅になっていた。  ただ、当時のホームは760mmだったはずで、この68692が停車している徳島駅のホームは明らかに高い。 そのおかげで、デフの裏側から逆転棒、コンプレッサーなどが近くからみれて配管などの取り回し具合なども良く観察出来る。 キャブ窓には格子が取り付けられていて、柵があって運転台に入れないようになっているが、そのため内部は綺麗に保存されていて製作資料としては良い写真が撮れる。 銅管は盗まれるからか、ビニールホースになっているのはご愛敬だが、これもかえってどこからどこへ繋がっているのかがわかって良い。 保存状態は良しとは言えないが、何十年と保存されてきているわりには悪くない方だろう。

68692を後にし、更に小道を進むと徳島運転所の真裏に出る。 間に堀があって徳島運転所には入れないが、壁やフェンスがあるわけではないのでかなり近寄って撮影できる。 また、駐車場越しに転車台も見えた。 徳島運転所を眺めながら歩くと、そのまま線路沿いに出る道があり、公園から離れる。 線路沿いの道からは徳島運転所から出てくる車両が徳島駅に入るために渡っていくため、踏切をこえてかなり佐古駅寄りまで行ってから戻ってくる姿が見れた。

徳島駅の佐古駅側にある、この踏切は徳島駅からは少し離れてしまうが、到着する列車や徳島駅を発車してきた列車などを撮影するにはとても良い位置になるし、何より徳島運転所から出てきて1番線に入る列車などはこの踏切をこえてさらに向こうまで行ってから戻ってくる。 68692を撮影しに行くのなら行きと帰りのルートを変えるのが良いだろう、牟岐線の発着時間に合わせて跨線橋へ向かうか、高徳線か徳島線の発着に合わせて踏切に向かうかを決めればどうだろう。 踏切脇にグランドパレス徳島というホテルがあり、その隣から駅に向かってポッポ商店街という趣のあるアーケードがあり、これを抜ければ徳島駅前に戻れる。