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鉄道 鉄道の記録

9667(高萩市)

2024年8月11日、福島県いわき市まで車で向かう途中 高萩市に寄ることにした。 常磐線の高萩駅から1キロくらいの距離だがバスが通っていない、今回は車なので真夏の炎天下でも訪問することが出来た。

国道六号線を北上し、日立市から高萩市に入ると左手に常磐線が近づいてくる。 市街地に入り「高浜町一丁目」という交差点の右手前側が高浜スポーツセンターや勤労青少年ホームという施設になっていて、その一角 交差点の角に9667があった。 国道から海側へ入ると駐車場が左手の高萩中学校沿いにあった。 中学校の駐車場かと思ったが、ちょうど車を停めた方がいらして尋ねたらスポーツセンターの利用のためとのことだったので、SL見学だが停めさせてもらうことにした。

土手というほどではないが、盛り土の上に展示されている。 周りは有刺鉄線で囲まれていてその隙間から撮影するため、盛り土の上に上がってみた。 
正面から見れば、キャブ屋根を覆うブルーシートが隠れて他の保存機よりも塗装の剥がれなどがないことから綺麗に見える、しかし側面に回ると所々傷んだところが目立つ。 置かれた場所も草が伸びて荒れ果てている上に海がすぐ近くなので潮風の影響も大きいことだろう。

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鳴門線(徳島-鳴門,968D)

C12をいくつか見てきたので、今度はC11を見に行くことにする。 5月4日、阿波海南駅から牟岐線に乗って徳島駅に到着したあと、鳴門線の発車までは時間があるので一旦,改札口を出て駅前で遅い昼食を済ませることにした。 駅ビル内や駅前には食事が出来るところが多くあり困らないが、逆にどこにするか迷ってしまった。

連休中なので下校時間になっても混雑はしないだろうとの判断で15:00発の鳴門駅行きに乗ることにする。 徳島(とくしま)駅4番線では見慣れたキハ40と47のコンビがエンジン音を唸らせて待っていてくれた,鳴門駅←[キハ40-2144]+[キハ47178]→徳島駅の2両編成で「四トク」JR四国の徳島運転所所属だ。 キハ40は両運転台でワンマン運転対応になっているがトイレが撤去されていて,単行で運行する時はトイレ無しとなる。 朝,2両編成で徳島駅に到着した列車が乗客下車後数メートル切り離されて,鳴門線と牟岐線に分かれて運用されているのを見たことがあるがキハ40ではなく新型の気動車だった。

車内はさすがに古いがドア付近のロングシートを除きクロスシートで,このキハ40はシートピッチがそれまでよりも広げられているので空間は快適であるが,座り心地は致し方ない。 25人ほどの乗客を乗せた968Dは,定刻15時ちょうどに徳島駅を発車した。 鳴門線は池谷駅から鳴門駅までをいうので、徳島駅から池谷駅までは高徳線の列車ということになる、そのため高徳線は徳島駅から高松駅へ向かう列車が上りとなることから鳴門線直通の鳴門駅行きは上りとなるが,鳴門線の始発駅は池谷駅なので厳密には鳴門駅行きは下りとなるのが正しいが高徳線に乗り入れて徳島駅まで直通する列車が多いことから高徳線での上り下りのまま走るのだろう。 徳島駅構内から延びる線路は2本あり、左側が徳島線で右側が高徳線なので佐古(さこ)駅までは複線のように見えるが単線並列区間で左側に線路を見ながら高架を登り島式ホームの佐古駅2番線に定刻の15時02分に到着した。 徳島駅を出て最初の駅だが,ここで10人ほど下車していかれた,高架から見下ろせば徳島市街地が続いていて区間利用も多いのだろう,ここから4人ほど乗車された。

高架の佐古駅を定刻15時03分に発車し,そのまま高架から降りずに街や畑を見下ろしながら走って吉野川の支流である鮎喰川を渡り、さらに吉野川橋梁を渡る。 長い鉄橋を渡り、田畑が目立ってきて15時08分定刻に吉成(よしなり)駅に到着した,4人降車されたが乗ってこられた方はいらっしゃらなかった,構内の広さから駅舎前に単式ホームがあって島式ホームもあったような広さだが、島式ホームの3番線は廃止になって事実上の相対式ホームとなっていて、駅舎前1番線は一線スルーで968Dは対向列車待ちをするため2番線に到着した。 15時12分、徳島駅行きの特急うずしお15号の通過を待って定刻15時13分に吉成駅を発車した。 田んぼのようだが蓮根畑だろうか田園地帯を走ると右手に大きな高校があって,勝端(しょうずい)駅に定刻15時15分到着,この駅も相対式ホームになっているが吉成駅と異なり駅舎前の1番線ではなく2番線が一線スルーになっているので,列車通過待ちをする場合は駅舎前の1番線に停車するので跨線橋を渡らずに済むようだ。 また,吉成駅は無人駅で車掌が集札をしていたが、ここ勝瑞駅には出札掛が居るようで車掌はホームに降りなかった。 この勝瑞駅は藍住町に属していて徳島市ではない,藍染めの産地で町名にも藍という文字が入っている。

 さらに田園地帯を進み,島式ホームが二つV字型に並んでいる池谷駅に定刻の15時19分に着いて3人ほど降りられたが,この駅には思いもよらず大勢の乗客がおられ必死に数えて25人乗られたのを確認できた。 無人駅で,西側の高徳線が1・2番線で東側が鳴門線の3・4番線となっていて跨線橋は徳島駅寄りのホーム南端にあって駅舎に向かう為の降り口もあって,上空から見るとカタカナのヨという字になっているがホーム幅が狭いためにホーム中ほどの駅舎近くには作れなかったのだろうか,跨線橋には屋根が無いので時間があればこの跨線橋から列車撮影をしたいものだが,今日は先を急ぐ。 968Dは3番線に到着して鳴門駅から来る対向列車を待ち合わせて15時23分発車した。因みに,この池谷駅はもう鳴門市内である。

左手に街道沿いの集落,右手に蓮畑を眺めながら進むうちに鳴門鯛の酒屋さんを過ぎると阿波大谷(あわおおたに)駅に15時25分定刻に到着したが,この島式ホームに列車を待つ人も降り立った人も居なかった。 そのまま25分に発車して,同じように右手に蓮畑を眺めながら走るが左手は家や藪が途切れた開けたところで見ると小高い丘になっている,南側はずっと開けているので遠くに見えているのは眉山なのだろうかと想像している間に立道(たちみち)駅に15時29分に到着した1分延着,お一人ホームに待っておられる方があって列車からはお一人降りられたので車掌さんの出番があった。

立道駅を15時30分に1分遅れで発車すると、頭上を高速道路が横切る,神戸市から海を渡って繋がっている高速道路だ,神戸や大阪へ向かう高速バスが徳島駅前に停まっていたがそれらはここを通っていくのだろう,徳島から神戸や大阪へ鉄道というのは岡山駅経由になってしまい料金面ばかりでなく時間的にも不利だ。 やがて列車は教会前(きょうかいまえ)駅に到着しお一人降りられた,ここも単式ホームで15時32分の1分遅れのままだ 。

一分遅れのまま出発し,やはり1分遅れのまま金比羅前(こんぴらまえ)駅に15時35分到着したが,ここでは単式ホームに降りた人は居なかった。 ここは駅名通り,近くに金毘羅神社があるようだ。 この辺りでも線路脇の藪から枝が伸びてきていて列車に当たって大きな音をたてることが度々あったが保線作業で勝手に切ってしまうことも出来ないのだろうが,窓ガラスが割れなければ良いのにと心配になる。 遅れたまま発車すると右手に川が寄ってきて川沿いを少し走ると撫養(むや)駅に1分遅れて到着した,ここも単式ホームで起点の池谷駅と終点の鳴門駅を除いて全てが単式ホームだ。 この辺りから市街地となり鳴門駅が近いことがわかる,左に大きくカーブしてATSが鳴動し始めて15時40分に終点の鳴門(なると)駅に到着した。 鳴門駅は終点なので島式ホームの先端部から地上に降りて駅舎へと進むようになっている,以前はこのような構造ではなかったような気がするが記憶が定かではない。駅舎側が1番線で列車は2番線に到着した。

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牟岐線(阿波海南-徳島,4552D)

2023年5月4日のみどりの日、座りきれないほどのお客さんと共に徳島駅発の4533Dで阿波海南駅に着いた。

この阿波海南駅(あわかいなん)の単式ホームから牟岐線普通列車4552Dとして折り返すのは1200系気動車[1256]両運転台付で徳島運転所の所属。 トイレが付いていて、その前のところは一人掛けのクロスシートで徳島駅行きでは最前席となり、展望特等席だ。 列車番号が4552Dと4000番台の列車はワンマン運転だ、車掌はもちろ客室乗務員も乗らない。 ワンマン運転の列車で、乗車時に乗車券を運転士に渡すなど間違った情報があったり、バスと同じとだけ書いてあるのをみて都心部のような均一料金のバスに乗る時と同じと勘違いされる方も多い。 JR四国の公式ホームページでワンマン運転の列車への乗り方を探してみたが見つからなかった、無人駅から乗る場合、JR四国の無人駅には券売機やJR東日本のように乗車駅証明書発券機が無いので、列車が着いたら車両の後ろよりのドアから乗車し乗ったらそこにある整理券発券機で整理券を取る、乗車券や定期券を持っているとしてもどこの駅から乗ったという証明のため整理券は取った方が良いと思える、JR四国がワンマン運転について乗降方法を公式に案内していないために取るべきかどうかの判断材料がないので、乗車口ドアが開くと整理券を取るよう車内放送が流れるので、乗車券や定期券を持っていても取っておいた方が良いと思う。 そして無人駅で降りる時は有効な乗車券があれば運転士に渡し、定期券があれば運転士に見せて、それ以外であれば運賃表示器から乗った駅からの料金を確認して現金を運賃箱に入れる。 その際、一部のバスのように整理券と多めの料金をいれたら自動でおつりが出てくることはないので両替してから現金を入れないと、おつり分をJR四国に寄付することになる。 徳島駅など旅客駅(無人駅や委託駅でない駅)にはJR四国の駅員が居るので、これらの駅では運転士あるいは乗っていた場合に車掌が乗車券の受取や現金のやり取りはせず、改札口で乗車券を渡すか定期券を見せて通るか、精算所で現金で精算して改札口を通ることになる。 乗車券を持っていなければ、ワンマン運転なら下車する駅に着いたら払う、車掌が乗っていれば乗車したら車掌から乗車券を買うだけのことで難しいことはなく、乗車できるドアはどれかの判断と半自動ドアだった場合ボタンを押さないと開かないことに気を付けていれば牟岐線に乗れる。 

出発信号が青に変わり、12名の乗客を乗せた4552Dは12時8分定刻に阿波海南駅を発車した。 半島部をトンネルで抜けて順調に走り、12時10分浅川駅(あさかわ)に到着、右側に単式ホームがあるだけで山の中に感じるが実際には木々に囲まれて森の中にあるだけですぐそこに集落があり海も近いようだ、1人乗車されて12時12分発車。 トンネルの中で運転席の速度計が80キロを指している、いくつもトンネルをくぐり抜け森の中をしばらく走ると入江が時々見えて単式ホームの鯖瀬駅(さばせ)に12時15分到着、ここも右側にホームがあるのだがそのホームの先に太平洋が見えた、ここでも1人乗車された。 徳島県の太平洋岸はリアス式の断層海岸が続くが、この辺りには大きな入江があり港があって集落があるので駅はおのずと海の近くに出来ている。 再びトンネルで半島を抜けると海が見えた、今日は天気が良くて海がとても綺麗だ。 と海を眺められるのも一瞬で、また森の中を走りトンネルになるが 下って住宅地に出た時、阿波海南駅を出てから最初の踏切を通過した。 ATSが鳴動し、やがて12時20分、牟岐駅(むぎ)に到着、島式ホームの2番線で駅員の居る駅舎へは構内踏切で行くようになっていて、側線が3本もあり牟岐線で最南端の列車交換が出来る駅で、ここから阿波海南駅までが1つの閉塞区間となっている。 ここで初めて1人下車されて3人が乗車されて12時23分定刻に発車した。

街をすぎると、国道と川にそって走り田んぼの広がるところへ出た。 そのまましばらく里山と田んぼの境目を走ると、田んぼの中で制限60キロの左急カーブの途中にある辺川駅(へがわ)に12時26分到着。 再び森の中へ入ったかと思えるが木々が途切れた所から、人家や田んぼそして国道が見えるので、里山の端を走っていることが判る。 谷間が開けたところで12時33分山河内駅(やまがわち)に到着、ここも単式だが左側にホームがある、昔はもう1本線路があったと思わせる広さがあるが、乗降客は少ないので縮小されたか、この列車へでの乗降客は居なかった。 発車すると大小のカーブで車体を左右に揺らしながら、速度を上げて時速80キロで快調に走り、下り始めると家並みが続くようになりATSが鳴動して、日和佐駅(ひわさ)に12時40分着、2分遅れ。 相対式で、海側の1番線に駅舎があってホーム途中にある構内踏切で2番線に渡ってこれる、到着した2番線は元は島式で3番線があったのだろう、JR四国の時刻表によると3番線からの発着は無い。 20数人が乗って来られて、8人が降りられた。 混みあって来た4552Dは12時42分に出発信号の進行現示を確認して発車した。 

左に徳島県最後の霊場、薬王寺が見えて、さらに川沿いの開けた所を走って、北河内駅(きたがわち)に12時44分着、ここも単式ホームがあるだけで、乗降なしだった。 ここを出ると、山間に入っていく、トンネルがいくつもあってかなり登ってから下り始めて、左に大きくカーブしてまたトンネルをくぐると、右にカーブして単式ホームの木岐駅(きき)に12時49分到着、お一人下車されていった。 ここでも、またトンネルで半島を横切り海沿いに出ると、海に近い臨時駅田井ノ浜駅(たいのはま)を12時51分通過、海が近いというより砂浜に駅を造ったようだが、夏の短い間だけ営業する臨時駅にしておくのはもったいない風光明媚な所だ。 トンネルの中でATSが鳴動して、トンネルを出たらすぐ由岐駅(ゆき)に到着、Y字に分岐して相対式ホーム左側に12時52分到着、駅舎のある反対側ホームには普通列車が先着していて、初めての列車交換となる。 乗降客はそれぞれ1人づつだった。

由岐駅を出ると、すぐに登りになりトンネルに入る。 ここを時速90キロとかなりの速度をだして登りきると、いっきに下り人家が見えてくると阿波福井駅(あわふくい)に到着、単式になっているが元は島式ホームだったものを駅舎側ホームの線路を撤去して構内踏切を設置しないようにしたものと思われる、側線だった側を残しているので、駅への進入時に分岐だったところで大きく曲がってからホームへ入るようになっている駅に12時59分着、2人が列車を待っておられた。 半島を横切っているので近くいわけではないが、この阿波福井駅のはるか東、半島の突端に蒲生田岬があり、ここと和歌山県の潮岬を結んだ線が日本の法律では瀬戸内海と太平洋の境界となっている、つまりこのあたりから瀬戸内海沿岸ということだが海ははるか遠くだ。 平地に出て左右が開けてくる、線路は田んぼの真ん中を通っているが、離れた所に人家は続いていて、その人家が集まってきたところで新野駅(あらたの)に13時3分に着いた、ここも単式ホームで二人降りて行かれたが、8人乗って来られた。 平地から外れてトンネルに入り山を一つ越えると、また開けてきてしばらく走ると黄色を点灯させた信号機があった、列車交換できる桑野駅はもうすぐだ。 Y字分岐を左に入り、桑野駅(くわの)駅舎側1番線に13時8分到着。 折り返し列車もある駅で3人乗られて2人降りられた。 

平野部を時速90キロで快適に走り、13時13分阿波橘駅(あわたちばな)の単式ホームに着いた、1人降りて4人乗車。 ここも、島式を片側廃止にしたようで、駅舎側の線路を撤去しているので、駅構内に入る際大きく逆にカーブすることになっているが、構内踏切を廃止出来て安全か。 家と田んぼが交互に続く中を走って単式で駅舎の無い見能林駅(みのばやし)に13時17分に着いたら、大勢の高校生が列車を待っていた、17人乗ってきて、3人降りられた。 市街地が続き大きな建物が見えてきてATSが鳴動して阿南駅(あなん)に到着したのは13時21分だった。 この阿南駅は橋上駅で相対式ホームになっていて1番線に着いた、全てのドアが開いたようで乗降者数を数えられなかったが、ホーム進入時に待っておられた方は4人だけだった。 数分停車している間に乗って来られた方がかなりいただろう。

牟岐線は、パターンダイヤ化されているようで阿南駅から徳島駅へ向けては日中26分と56分で30分毎に発車するようになっている、毎時何分に出ると判っていれば利用しやすくて便利だ。 4552Dは阿南駅の停車時間で遅れを調整して13時26分定刻に発車した。 駅を出て、しばらく走ると川を渡りきると田園地帯になった。 さらに、大きな那賀川を渡ると左にカーブして13時29分阿波中島(あわなかしま)左側に単式ホームがあって、お一人列車を待ておられた、続く西原駅(にしばら)には13時32分着で、ここでもお一人乗車された、右側に単式ホームだった。 田園地帯で家が点在している中を走ると信号機がありATSが鳴動して、列車交換が出来る島式ホームの羽ノ浦駅(はのうら)2番線に13時36分到着、対向列車が先着していた。 4人下車され、4人乗ってこられた。 区画の整った住宅地や団地を過ぎると、田んぼの中にでて、左側だけに家が集まってくるとY字に分岐して列車交換が出来る立江駅(たつえ)に13時39分到着し2人下車された、Y字分岐はスプリングポイントのようだ。 川を渡ったところで崖下にある阿波赤石駅(あわあかいし)に13時42分到着し4人を乗せた。

再び川を渡り運河のような河川と並行する、少しづつ細くなるので農業用水路か、右側には家がつづくが左側は田んぼが広がるが、小さな川を渡ると両側に家が建ち並ぶと列車は速度を落として南小松島駅(みなみこまつしま)に13時46分着。 島式ホームの2番線で3人乗って4人降りられていった。 この駅では列車交換だけではなく、徳島駅行きの特急を普通列車が待つことがあるようで、朝に1本だけ徳島駅行きの1番線発着がある、その1番線に発車時刻の13時49分を過ぎても対向列車が来ないので発車できないで待っている。 この駅で降りて、川を渡った先に旧小松島駅があってそこにC12が保存されている、途中には蒲鉾店がいくつかあって海辺を感じさせる街並みが続く、廃止になるまでは市の代表駅は小松島駅だった。 手前の羽ノ浦駅とここ南小松島駅は旅客駅扱いだが土日や祝日に駅員は不在となる

対向列車、阿波海南駅行きがよっやく到着して13時51分に南小松島駅を発車した。 少し田畑があるが住宅の続くなかを走ると中田駅(ちゅうでん)に2分遅れて13時53分到着、3人降りられて6人乗って来られたが、なんとそのうちの1人は車掌で運転席脇に陣取られた。 島式ホームで行き違いが出来るが駅舎側に側線が残っていた、この側線のあたりから小松島線が出ていたのだろうか、それにしては廃止されてからかなり経つ。 発車後「二分遅」を運転士のあと「二分遅」と車掌が繰り返していた。 田んぼに集落が点在するなかを走り、左側に小高い丘をすぎて13時58分に地蔵橋駅(じぞうばし)にY字分岐の片側を廃止したような曲がり方で単式ホームに入って橈尺し、3人が乗車された。 

地蔵橋駅は徳島市にあるので、このあたりはベッドタウンなのだろう住宅地が続き、川を渡ると文化の森駅(ぶんかのもり)に14時2分到着。 堤防の高さのままで単式の高架駅になっているが片面は田んぼで広々としていて森は見えないし、ホームのある側は住宅地で遠くに山が見えるだけだ。 乗降客は無く、2分半遅れのまま発車した。 工場や大型店舗、そして住宅が続く中を走るとATS鳴動して島式ホームの二軒屋駅(にけんや)に2分遅れの14時4分に着いた、島式ホームで側線が1本ある。 ここで対向列車を待つが徳島駅発14時ちょうどの列車だろうか、牟岐線の徳島駅発は日中0分と30分に統一されているので発車時刻は覚えやすい。 14時7分、対向列車の到着を待って発車したが、乗降客は数分停車してもいなかった。 住宅の間を抜けるように進み阿波富田駅(あわとみだ)の単式ホームに14時9分に着いた、ホームのある線路右側(海側)の方に徳島絵県庁があるらしいこの駅では3人が降りられた。 左にカーブすると右側に側線が何本も分かれていき徳島運転所に停留中の気動車が見え始めると、徳島駅構内だ。 場内信号の3が黄色を現示していて、そのまま徳島駅3番線に14時14分に着いた、駅改札口があるので徳島駅では車掌が料金精算や乗車券と定期券の確認は行わないので、改札口脇の精算所には長い列が出来たが、フリー乗車券を持っているので改札口へ直接向かった。

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C12 280(小松島市)

2023年5月4日、牟岐線の南小松島駅で降りた。 小さな駅舎を出て、駅前広場の左手正面ではなく右側へ回りこんで道路を渡りそのまま通りに入っていく。 実際には、右でも左でも川に突き当たるので同じことだが、川を渡る橋は海沿いのあるので右側を 歩いた方が少し近い。 かすかに潮の香りを感じつつ大きな橋を渡る右手遠くに島のように見えるが、実際には湾になっていて対岸が見えてるが遥か遠くだ、渡り切ると交差点左手に木々に囲まれた一帯が見えてくる、ここがステーションパークでこの中にC12-280がオハフ50を従えて展示されている。

森の中に入っていくと、大きな狸がある(かなり有名らしい)。 さらに進むと、右手にC12が見えてくる。 廃線跡に沿っているのではないから、新しく線路を敷いて駅を模したホームを作ったのだろうか、姫路市のC57と違ってここはホームに上がれるしベンチもあり、散歩途中の方々が休んでおられたが駅のホームで列車を待つ姿のようだ。 さてC12だが、かなり痛んでいて錆びて穴も開いているところも多い、海が近いわりにはまだ保たれていると考えるべきか。 

模型製作の資料として撮影するので、錆びていても形さえあれば良いのだが一部欠損していたり錆びて朽ちてしまっているところがあって、保存することの大変さを感じた。 シリンダー尻棒が無い、これくらい大きな部品であれば朽ち果てたのではなく最初から付けられていないと判断できるが、小さい部品や配管などは判断が付かない場合が多いので、いくつもの保存機を訪ねて資料を増やしていくしかないのだ。 ホームに上がれるので、一脚+セルフタイマーという技を使わずに煙突やドームなどを近くから撮影できるが、キャブのガラスに格子が当てられているのは24時間だれでも近寄れるから仕方がない、キャブ内の撮影は諦めることにした。

ここのC12はオハフ50を従えている。 小松島線で実際に走っていた車両を青く塗りなおして展示しているが、ガラスに何か貼ってあるのか車内は見えない、車内は京都鉄道博物館で確認できるから、ここでは片側だけだが床下の装備や配管などを記録した。  

最後に、徳島駅からここに来るにはJR牟岐線で南小松島駅まで来て駅から少し歩く方法と、徳島駅前から徳島バスに乗って、ステーションパークの近くにある徳島赤十字病院まで来る方法がある、料金を調べたところ330円で同じだった。 道路の混み具合にもよるだろうがバスはおよそ30分位かかるようで、20分弱JRに乗って10分位歩くのと時間は変わらない。 今回は、牟岐線や鳴門線などに乗るから「四国再発見早トクきっぷ」を買ってあるので、JRにした。 休日限定だが、JR四国の普通列車に乗り放題の切符は、ワンマン運転などのローカル線で都度精算しなくて済み手間が掛からない、途中駅で降りる場合よりも徳島駅などでは車内清算ではなく精算所に並ぶことになるので時間がかかるが、これがあれば改札口をそのまま通れるので時間短縮にもなるし、阿波海南駅から徳島駅まで牟岐線全線完全乗車するだけで1,830円かかるので、往復するだけで充分もとが取れる。 

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68692(徳島市)

この機関車は、JR徳島駅の裏にある。

たった一行で終わってしまうが、実際に駅から歩いて行ってみたことを記しておくことにする。 徳島駅ビル・クレメントプラザを出ると左手にタクシー乗り場があり、もっと左側に高速バスや路線バスのターミナルが広がっている。 駅ビルを出て、左側に進んでタクシー乗り場やバスターミナルを右手に見ながら進むと、右手にダイワロイネットホテルがある。 これも右手に見ながら歩いていくと、左側の建物が地上駐車場となって、この駐車場越しにJR牟岐線の線路とその奥に徳島運転所に停留する気動車が見える。 目指す機関車はその奥の森の中にある。

NHKの前を過ぎると、跨線橋がありこれを渡る。 跨線橋は徳島運転所から少し離れているので車両を撮影するには望遠レンズが必要になるが、牟岐線を撮影するには線路がカーブしているのでちょうど良い位置になる。 渡り終えると、そこは徳島中央公園、左側に売店をかねた食堂が二軒もあり美味しそうだったので昼食を済ませてきたことを悔やみながら奥へと進む、売店を過ぎると左手奥に徳島運転所の気動車が見えるが、そちらの方向ではなくて少し森の中へ公園の中へ入るように広い通りを道なりに行くと68692が右手に見えてくる。

機関車の右側はフェンスで遮られて、更にランボードから下は金網が張られていて厳重に守られている。 正面に回ると、左側は駅舎やホームになっていて機関車のところまで行けるようになっている。 という事は、68692のシリンダーやロッド、テンダーの台車などは左右いずれも見れないということだ。 この機関車は小松島線で走っていたものらしく、ホームには当時まだ阿波富田駅が無かったのだろう徳島駅の次は佐古駅と二軒屋駅になっていた。  ただ、当時のホームは760mmだったはずで、この68692が停車している徳島駅のホームは明らかに高い。 そのおかげで、デフの裏側から逆転棒、コンプレッサーなどが近くからみれて配管などの取り回し具合なども良く観察出来る。 キャブ窓には格子が取り付けられていて、柵があって運転台に入れないようになっているが、そのため内部は綺麗に保存されていて製作資料としては良い写真が撮れる。 銅管は盗まれるからか、ビニールホースになっているのはご愛敬だが、これもかえってどこからどこへ繋がっているのかがわかって良い。 保存状態は良しとは言えないが、何十年と保存されてきているわりには悪くない方だろう。

68692を後にし、更に小道を進むと徳島運転所の真裏に出る。 間に堀があって徳島運転所には入れないが、壁やフェンスがあるわけではないのでかなり近寄って撮影できる。 また、駐車場越しに転車台も見えた。 徳島運転所を眺めながら歩くと、そのまま線路沿いに出る道があり、公園から離れる。 線路沿いの道からは徳島運転所から出てくる車両が徳島駅に入るために渡っていくため、踏切をこえてかなり佐古駅寄りまで行ってから戻ってくる姿が見れた。

徳島駅の佐古駅側にある、この踏切は徳島駅からは少し離れてしまうが、到着する列車や徳島駅を発車してきた列車などを撮影するにはとても良い位置になるし、何より徳島運転所から出てきて1番線に入る列車などはこの踏切をこえてさらに向こうまで行ってから戻ってくる。 68692を撮影しに行くのなら行きと帰りのルートを変えるのが良いだろう、牟岐線の発着時間に合わせて跨線橋へ向かうか、高徳線か徳島線の発着に合わせて踏切に向かうかを決めればどうだろう。 踏切脇にグランドパレス徳島というホテルがあり、その隣から駅に向かってポッポ商店街という趣のあるアーケードがあり、これを抜ければ徳島駅前に戻れる。

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水郡線(水戸ー常陸太田,927D)

時刻表で、推理小説のトリックネタに使える列車を見つけたので、令和5年5月21日に乗ってみるため、水戸駅に降り立った。 

水戸駅(みと)はJR東日本が1番線から7番線、鹿島臨海鉄道が8番線の島式ホームが4本並ぶ大きな駅だ。北側の1番線と2番線が水郡線の発着ホームで、1番線はホーム途中で線路が切れていて、水戸駅の西側にある水戸運輸区への出入りは2番線が使われる。 ちなみに、3番線と4番線が下りホームで特急は4番線を使い5番線と6番線が常磐線上りと水戸線直通が使用して、7番線は上り線の特急専用となっている。 また、この駅では2-3,4-5,6-7の間に中線が残っていて貨物列車が待避できるようになっている。 

8時24分に常陸太田駅からの832Dが2番線に到着し、これが9時6分発の常陸太田駅行きとなって折り返すのだが、1番線にはすでに9時23分発郡山駅行き329Dの4両編成が入線していて上菅谷駅より先の常陸大宮駅方面へ乗車される方だろうかお二人ほど乗っておられた。 329Dは前寄り2両が郡山駅まで行き、後寄り2両は常陸大子駅で切り離しになる。

832Dからの下車客数はかなり多くおそらく立ち席がかなりあったと思われ、その方々がエスカレーターや階段で改札のある3階へ上がっていかれるとホームにはE130系気動車が2編成がかすかにエンジン音をさせているだけの静けさが戻った。 これから乗る常陸太田駅行き927Dは 常陸太田駅←[<キハE132-6]+[キハE131-6>]→水戸駅という車両編成で常陸大子駅に隣接する水戸支社水郡線統括センター所属で水スイ(水と支社スイ郡線)と車両に表記がありキハE131にトイレが付いている。 キハE130は両運転台付で側面中央が赤いのに対し、今回のキハE131+E132は緑色に塗られているので遠くからでも判る、キハE131にはトイレが付いているので座席数が少ないが両運転台のキハE130よりは座席数が多い。 車内は1-2並びのクロスシートがあってドア付近はロングシートとなっているが、通勤通学の時間には1-2の座席の方が通路が広くなって乗降時間が短縮され立ち席の方が多く乗れる。 乗降ドアは半自動化されていてボタンで開けるが、このEmono130系気動車にも車外に閉めるボタンはない。

水戸駅停車中に、Suicaでの乗車時についての案内放送があった。 水郡線では水戸駅、上菅谷駅、常陸大宮駅、常陸大子駅、常陸太田駅と郡山駅がSuica対応になっているが、郡山駅までSuicaで乗っていくことは出来ない。 水郡線でSuicaの使える駅という質問に郡山駅も含めた回答をよく見かけるが、これは間違いではないが会津若松駅や福島駅から乗ってきて郡山駅で降りる時にはSuicaで改札を出れるが 水郡線のSuicaが使える駅から乗ってきても郡山駅はエリア外なので改札を通れない。 また、水郡線ではSuicaの定期券は発行されない、例え使える駅から使える駅までの定期券だったとしても途中駅で降りることに対処できないから発行しないのだと思う。 品川駅や土浦駅などSuicaが使える駅からSuicaで乗ってきて水郡線でSuicaの使えない駅で降りる場合は面倒な事になる(車掌か運転士がSuicaから乗車駅情報を読み取って、その駅から下車使用としている駅までの料金を現金で払って、後からSuicaが使える有人駅に行きSuicaの乗車記録を抹消してもらうことになるらしいが未確認、元々Suicaは車内で精算することはここに限らず出来ないが) また、水郡線の乗り方について「乗車時に乗車券を入れる」と書かれているものがネットにあるが、これは間違いだろう、無人駅から乗車する場合は車内に設置してある整理券発券機から整理券を取って、下車する駅も無人駅でワンマン運転の場合には一番前のドアからしか降りれない(他のドアは車内からは開かない)ので乗車券を持っていなければ整理券番号から対応する料金を調べて現金で払って下車するわけで、乗車券を乗車時に入れてしまっては下車する時に困ると思う。

9時7分、乗客10人を乗せ水戸駅1分遅れでて発車。 すぐに左にカーブしながら常磐線から離れ、水戸城の堀だったという深い谷を抜けて那珂川を渡る、堤防の高さの上を橋で越えて道路を立体交差で越えるまで高架を60Km/hで走り、やがて下り坂を折り切ると常陸青柳駅(ひたちあおやぎ)に9時10分着、Y字型に分岐している駅で1線スルーにはなっていないようで、どちらが側が何番線ということも表示が無くわからないがこちら常陸太田駅行きは西側に到着した(ホームに対して列車の右側のドアが開いた)。 島式ホームの反対側にはかなり混んでいる水戸駅行きが到着していて、こちらの到着を待って先に発車していき、こちらは9時11分に発車したが乗降客はいなかった。

駅を出てしばらくは家が続いたが、それが途切れると田んぼの中を80Km/hで快調に走り、その開けた田んぼが終わり高台に登り始める途中に常陸津田駅(ひたちつだ)がある。 単式ホームに9時13分着、ホームの水戸駅寄り半分が低くて上菅谷駅よりが高くなっている、客車用760ミリではないだろうから電車用1100ミリとその他用920ミリか。 以前に走っていたキハ110系は床下高さが1175ミリだったのでちょっと段差が出来ていたがキハE130系は床下高さが1130ミリに下げられたので乗降ドアに段差が少なくなったはずだがステップはこれにもある。 勾配の途中で曲線部に作られた常陸津田駅から乗ろうと4人待っておられたがドアが開けられず前の車両へ走って行かれたが外からは開けられるはずなのだが自動で開くと思われたか。 エンジンをうならせ更に登って単式ホームの後台駅(ごだい)に9時16分到着し、一人降りられた。 ここも、ホームの水戸駅寄りが低く上菅谷駅寄りが高くなっていた。

田園地帯を抜けて、新しい家が目立ち始めると下菅谷駅(しもすがや)に着く、相対式ホームで行き違いが出来る駅だが大きくカーブしている為かホーム中ほどに中継信号機があり、さらに跨線橋もある駅に9時19分到着、二人降りられたがここでも乗車される方はいなかった。 次の中菅谷(なかすがや)には9時21分着、単式ホームにこの列車を待たれた方も降りられた方もいらっしゃらなかった。

55Km/hで比較的ゆっくり進み、Suicaで入出場が出来る上菅谷駅(かみすがや)に着いた。 島式ホームで1,2番線、単式で3番線があるが、927Dは3番線に9時23分着し4人降りられて1人乗ってこられた。 上菅谷駅は9時44発なのでおよそ20分の停車となる。 9時29分に1番線に水戸駅行きが来て列車交換はせずに9時31分発車していった、かなり混んでいたがこちらに乗り継いだ方はいらっしゃらなかった。 9時40分、郡山駅行きが2番線に到着した、これは水戸駅1番線に先に入線していた9時23分発郡山駅行き4両編成だ。 

そう、この上菅谷駅で 9時6分に先発した927D常陸太田駅行きに9時23分発929D郡山駅行きが追い付き、常陸太田駅行きに乗り継げるのだ。 水戸駅に先に停まっていて、17分先に出た列車に追いつく郡山駅行きから7人の方がこちらに乗り移ってこられた。 9時41分に郡山駅行きが先に発車していったが、上菅谷駅でかなりの方が下車されてしまいとても空いていた。

9時44分定刻、上菅谷駅発車。 郡山駅方面行きの線路を超えて右側の常陸太田支線に入るため分岐をいくつか渡り、少し並走すると郡山駅方面行きが左へ離れていった。 ここからは、全ての駅が単式で列車交換が出来る駅はないので、常陸太田駅まで同じ閉塞区間内となるので停留所扱いか。 9時48分南酒出駅(みなみさかいで)到着、駅名の由来なのかどうかわからないが日本酒やウィスキーそしてビールで有名な木内酒造が近くにあるらしいが、水郡線の常陸鴻巣駅に近いところにあるお店の方が一般売りメインのようなので今回は下車せず乗り通すことにした。 畑の中をはしり、次の額田駅(ぬかだ)に9時50分着、5人が降りていった。 ここから森の中を左右にカーブしながら走り開けたと思ったら久慈川の河川敷に出ていた、鉄橋を渡ると家並みが続いて河合駅(かわい)9時55着、乗降客が無いからかすぐに発車した。 駅を出ると家が途切れて田んぼの真ん中を一直線に進み9時57分谷河原駅(たにがわら)到着、常陸太田駅寄りのホーム先端は道路に接しているがホーム自体は左右とも大きく広がった田んぼの中にあり、広々とした爽快感のある駅を9時58分発車。

大きな建物が見えるようになり、常陸太田市街に入る。 街中を少し走り10時ちょうど常陸太田駅(ひたちおおた)到着。 日立市から日立電鉄が走っていたころは、今よりももう少し北に線路が伸びていて日立電鉄の駅と向かい合っていて線路の東側にホームと駅舎があったが、今は駅が南へ少し移動して元駅があった場所はロータリーに整備されて綺麗になっている。 指定券発売機もあり駅員配置駅で、Suicaでも乗降できる新しい駅は線路の西側に改札口と駅舎が作られていた。 機回し線も待避線もない、単線行き止まりの駅からさきほどの927Dが上菅谷駅行き928Dとして折り返していくのに乗らないと次は12時まで無いので、急いで乗車記録を兼ねた入場券を購入して、改札口へ向かった。

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快速マリンライナー25号(岡山-高松,3125M)

令和5年5月3日、「快速マリンライナー」の運転席後ろ特等席1番A席が買えた為に国鉄色に戻った381系特急やくもを眺めるのを諦めて高松行きが出る5番線へ向かった。 連休中で大変混雑している上に5番線の倉敷駅寄りに切欠きで6番線があり、その6番線には松山駅行きの特急しおかぜ9号が停車中だがアンパンマン列車なので連休でお出かけ中の子どもたちに大人気で写真撮影中の家族が多く、中央改札口から降りて来てもなかなか5番線までたどり着けなかった。 6番線を抜けて、売店は無く自販機だけしかない5番線ホームのベンチに座り駅を眺めていると遠く2番線に国鉄色に戻った381系特急やくも9号が入線してきた、確かに懐かしい塗装だ。 5番線の反対側は8番線で、倉敷駅寄りに切欠きホームの7番線がある、つまりこの島式ホームは5,8番線で倉敷駅寄りに切欠きで6,7番線があるが5番線より6番線の方が長くまた中央コンコースから降りて来ると6,8番線なので注意が必要だ。

宇野線には遅れが出ているようで、折り返しの快速マリンライナー22号は定刻より数分遅れて到着した。 折り返しが着いたあと入れ替わりで普通車では荷物を持った方々が乗車されていく、しかし1号車は運転席後ろと2階がグリーン車で1階が指定席のため座席の転換や清掃作業などの車内準備がありすぐには乗れない。 2階がグリーン車だが、運転席寄り(高松駅側)のデッキはグリーン車扱いになるので立ち席でもグリーン料金がかかる、今日のような混雑時にも誰も居ないのはグリーン車扱いと周知されているからだろうか。 

「快速マリンライナー25号」は 高松駅←[<5104]+[5204]+[5004>]+[<クハ222-5006]+[クモハ223-5006>]→岡山駅 という5両編成だ。 車両表記が異なるのは、高松駅寄りの[5104-5204-5004]がJR四国の車両(四カマ・高松運転所)で岡山駅寄りの2両がJR西日本の車両(岡オカ・岡山電車支所)で、時間帯によりJR西日本の2両を切り離した3両で運転したり、逆にグリーン車無としてJR西日本だけの2両編成という場合や、多客期にJR西日本分を2編成の4両増結で合計7両編成で走ることもある。 トイレはJR四国所属もJR西日本所属車両も高松駅側の車両(今日の場合は1号車と4号車)にあるが、ここにトラブルが後から発生するのだった。

定刻より5分遅れの11時17分、岡山駅(おかやま)を「快速マリンライナー25号」は発車した。 宇野線は山陽本線をまたぎ山陽新幹線の下をくぐり南へ向かう。 岡山駅を出て高架線をしばらく走ると線路が二本になり大元駅を通過する、この区間と次の停車駅である妹尾駅付近で線路が二本になっているが複線という扱いではなく駅構内でホームが無いけど線路は上り下りで分かれたままという扱いらしい。 岡山行きの「特急南風」に乗っていた時に妹尾駅近くで「特急しおかぜ」とすれ違ったことがある、茶屋町駅から岡山駅まで複線化しきれないことの苦肉の策か。 

運転士と車掌はJR西日本が児島駅まで担当することと停車駅の案内があり、最後にトイレが1号車と4号車にあるとアナウンスがあった。 11時21分、備前西市駅の1線スルーになっている1番線を通過したがこの駅ではすぐに2番線がこちら側へ来て単線となった、大元駅からしばらく線路は二本だったが備前西市駅の手前で単線になりこの備前西市駅からしばらくは単線なので隣の駅まで線路が二本で続いているわけでないので線路が二本ある区間は駅構内という扱いで複線にはならない。 再び線路が二本になると対向列車が向こうから来るのが直線区間なので見えて、ATSが発令して妹尾駅(いもお)の相対式ホーム2番線に11時24分に着いた、4分の遅れ。 そしてマリンライナーとすれ違いながら、正真正銘の複線区間を通るなどして4分遅れのまま11時30分に茶屋町(ちゃやまち)4番線に到着、下津井電鉄がこの駅から出ていた。 この駅は島式ホームが2つだが間の2,3番線は線路を共用していてこのホームに入る宇野線は車両の両方のドアを開ければ列車内を通り抜けて1番線から4番線まで移動できる構造になっている。 茶屋町駅を11時31分発車、本四備讃線にはいる、複線区間で新しい路線のため速度を上げて快調に走ると、正面から「特急南風」が走ってきた。 トンネルを抜けて駅を通過してを繰り返し11時39分に児島駅(こじま)到着。 島式が2つなのは茶屋町駅と同じだが、この駅では1,4番線がこの駅折り返しの普通列車用で、この「快速マリンライナー25号」も含め四国行きの列車は3番線に到着し、四国から来た岡山行きは2番線に着く。

ここ児島駅でJR西日本からJR四国の運転士と車掌に変わる。 ここまでは運転士だけが運転室に乗務していたが、JR四国では運転士の他にもう1人「特別警戒」という腕章を付けた乗務員が添乗してきたが車掌さんだろうか。 すると交代でこの駅に降りたJR西日本の運転士に乗客の女性が”1号車のトイレが詰まっていて使えない、ものすごい混み方で4号車まで行けない”と訴えに来た。 それは車掌にと言いかけたような気がしたが、そのJR西日本の運転士はJR四国の運転士に”1号車のトイレが故障している”と伝えていた。 混み方がすごい場合は列車が停車するのを待ってホームに降りて違う号車まで走るしかない、子どもさんを連れているなど難しい場合もあるだろうがトイレに一番近いドアまでホームを使って移動するのが一番早い、1号車から4号車の岡山駅寄りまで移動するのは1両20mあるのだからかなりの距離で空いていても大変だ。 岡山駅行きの「快速マリンライナー」が定刻に反対側に到着したがここから先、下り列車が遅れているために列車交換がうまくいかず遅延するかもしれないし、特急を行き違い駅で待たせるということがあるかもしれない。

11時41分、ドアが閉まり児島駅発車。 4分30秒遅れとのこと(指差喚呼で確認)。 その後、車内電話を運転士から車掌が受取って話しをしていた、5号車の車掌に連絡していたのか、それとも運転指令なのか。 少なくとも、高松駅や高松運転所でトイレの抜き取りは出来ないはずで、トイレ故障のまま高松と岡山の間をこれからも何往復もするだろうか、瀬戸大橋をトイレの無い列車は通れないことになっているので2つとも故障したら運休か。 この高松行きもだが岡山行きもそうとうな混雑で、発車ホームには長い列が出来ているだろう、駅でトイレが故障しているとアナウンスして駅で済ませてとなっても女性用は自由席乗車口と同じように長蛇の列が出来ているはずだ、連休中などは列車も混むがトイレも混むことを覚えておいて余裕を持たねばならない。

すぐさまトンネルに入るが、最初は東側の在来線用のトンネルに入るが、途中で新幹線用の西側のトンネルに内部で移動し、さらに下り線(四国行き)だけ元の在来線用トンネルに戻り、瀬戸内海を前にして下り線が在来線用を、上り線が新幹線用のトンネルを抜ける。 これは、瀬戸大橋は在来線と新幹線の両方が通れるように造られていて橋の東側半分が在来線で西側半分が新幹線用だったが、結局は在来線だけしか通らないので上りの本州行きは橋の新幹線用を通りバランスを取っているため、鷲羽山を貫くトンネル内で両方へ上下線を振り分けるためだろう。 

瀬戸大橋では、1つの橋に列車は2本という制限があり、何らかの事情で停車する場合は島の上になるように閉塞が出来ているので閉塞信号は島の上にある(地面ではなく高架上)避難通路もいくつか作られているはずだ。 騒音の問題があって、一部の気動車が速度を落としてエンジン音を抑えていたのも昔の事となったが「快速マリンライナー」も一部区間で速度を落として走るようだ。 橋の上も速度制限は120Km/hとよく言われるが実際の橋の上では80Km/hくいらいでないだろうか鷲羽山トンネルや渡り切った先の宇多津駅構内扱いの短絡線区間などであれば120Km/h出せるだろうが。 GPSアプリが不調で速度を測れなかったのが悔やまれる、運転席をのぞき込んで速度計を確認すれば良いことも忘れていた。 近くの島々では釣り船だろうか小さい船が島の周りに多く出ているのが見え、島の様子も天気がよくて良く見えたが、遠くは少し霞んでいたのが残念だ。 

1号車の運転席後ろにある超展望席は運転士が左側に乗っているので、前方視界はC,D席の方が良いので動画撮影などにも向いている。 しかし今日、確保出来た運転士の動作などが良く見えるA席もなかなかで、A,B席はC,Dよりも少し高くなっていて運転士の頭越しに前が見えやすくなっている。 車掌は邪魔にならぬよう中央の貫通ドア前に窮屈そうに立っていて気の毒だし、運転中に後ろからずっと見られていて動画も撮られることが多いだろう運転士はもっと大変だろう。 指差喚呼が幾分大き目なのは見られていることを意識させてしまったかもしれない、申し訳けない。 

15分位で瀬戸大橋を渡り切り香川県坂出市に入るが、実際には鷲羽山トンネルを抜けて橋を渡り最初の島から全て香川県坂出市に属している。 工業地帯が広がる景色が四国に渡ったことを実感させてくれるうちに短絡線の分岐になる。 高松駅へ向かうこの列車は分岐を左に下りてから宇多津駅から来る短絡線と合流し制限が解除となったようで速度を上げて高架線のまま坂出駅(さかいで)1番線に11時56分到着。 単式の1番線に対し島式ホームで2,3番線がある大きな駅で乗降客数はJR四国で4位らしくかなりの乗客を降ろして11時58分発車、4分15秒の遅れ。 元から予讃線のこの区間は制限速度が高いため高速運転を行っているはずで遅れを取り戻すことは不可能と思えるが、第二閉塞を115Km/hで走り12時8分に高松貨物ターミナルの脇を通過したが電気機関車は見えなかった。 第一閉塞となり、上下線が別れて間に高松運転所が右手に広がり色々な車両が停留しているのを眺めるうちに、高松駅構内が近づきATSが発令し、高松駅(たかまつ)の頭端式5番線に12時11分に到着した。 4分遅れのままだったが、ここ高松駅での乗り換えは高徳線くらいでホームに混雑もなく、自動改札機にSuicaをかざして外にすぐ出れた。

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特急うずしお6号(徳島-岡山,5006D)

令和5年5月3日 瀬戸大橋線直通岡山駅行きに乗った。

5月2日に徳島駅のみどりの窓口に”5489″を使って予約した指定券を引き換えるために並んでいると”岡山から新幹線で静岡”とか”大分県の中津まで”と岡山駅まで出てそこから新幹線に乗り継いで行かれる方が、(徳島駅発岡山駅行きの「特急うずしお22号」の)特急も新幹線も指定席は満席と言われていた。 コロナの5類移行はこの連休明けだが、旅行者はかなり増えているようで5月3日の徳島駅2番線には「特急うずしお6号」の自由席車にかなりの行列が出来ていた。

その徳島駅(とくしま)2番線は1番線が阿波池田駅方面寄りの切り欠きホームになっているため改札口の正面が2番線となり、その向こうに島式ホームの3,4番線がある。 その2番線に高松駅から「特急うずしお3号」が8時15分に到着する、すぐに折り返しのため車内準備が行われて8時23分発「特急うずしお6号」岡山行きとなるが、折り返すまでの時間はたったの8分でこれは東北新幹線などの東京駅折り返しよりも短い、車両も短いが。 車両は2700系気動車で、地域都市間輸送しか出来ない四国において曲線区間をより早く走らせるために車両傾斜装置付きである。 繁忙期だが通常通り6,7,8号車の3両で増結はない。 岡山駅行きの「特急うずしお」だけは「特急南風」と併結されるので号車番号が6号車からになっていて高松駅行きの場合は徳島駅寄りから1号車となる、今日の「特急うずしお6号」の編成は徳島駅←[<2755][<2756][2715>]→岡山駅となっている、2700系は片運転台付だけしかなく中間車は存在しないため3両編成の中間車も運転台付となる。 2700番台は運転台が高松駅向きで、2750番台は徳島駅向きの車両であり、半分グリーン車の2800番台は特急うずしおでは使われていない。 所属は高松運転所、四カマ(JR四こく・たカマつ)。 2700番台は定員46人で2750番台は定員が52人なので、自由席を利用する場合は徳島駅寄りの車両(「特急うずしお6号」ならば7号車)の方が席が多いが2両編成の場合は半分が指定席になるので自由席は少なくなる、JR四国のホームページに2700系で運転される特急の一覧と特急列車の編成表が出ているので参考になる。  

「特急うずしお」の高松駅行きは車両の半分が指定席だが岡山駅行きの6号車は全席指定で、中間車にも徳島駅側に運転台が付いているので2両編成での運行時と3両編成での運行時に指定席の座席番号が同じになる、「特急うずしお」の場合はD席が瀬戸内海が見える側なので、今日はD席を確保してある。 7号車と8号車の自由席は徳島駅出発の時点でほぼ満席になり、定刻の8時23分に発車した。 指定席はまだ2割ほどの空席があったが、徳島駅出発後の最初のアナウンスで「指定席は満席で、自由席からの振替は出来ない」と案内があり確かに途中の勝瑞駅などから乗ってこられて指定席も満席となった。 もちろん、連休中であるため帰省客や旅行者が多く、さらに鞄やスーツケースを持っていることから自由席の混雑はかなりのもので、今回は7、8号車の探索は諦めた。 荷物棚(網棚)が、飛行機の機内持ち込み手荷物くらいの大きさの物を載せられるように大型化されているので、リュックサックなどは立てて置けるくらいだ。 満席なので隣の座席に置けないから荷物を網棚に上げた時に気付いたが、2600系では動かせた枕が固定となっていた、また足置きが2600系には有ったような気がするが2700系にはない。 徳島駅など大きな駅でも使えるJR四国Wi-Fiがこの2700系では車内Wi-Fiとして接続できるようになっているが、乗車してすぐなので使用開始の際の接続ポータルサイトが表示されにくいがその時は http://で始まる(httpsのsのつかない)サイトを表示させると良い。 前の座席で出来ない事を嘆いている方に教えてあげたいが突然後ろから教えるのも変なので無事つながることを祈ることにした。 NTTBPなどに接続テスト用サイトがあるので、ブラウザにそのURLを保存しておくと旅先で便利である。 AC100V(60Hz)のコンセントが窓側と通路側のひじ掛けの先端下部についているが充電やPCの利用を想定しているのだろう容量の表示は座席テーブルの案内に記載は無かった、その案内にはJR四国の運行状況がわかるホームページのQRコードもあったが、これは30分程度遅れた場合の案内らしく数分の遅れでは出ないがJR四国内であれば数分は接続待ちをするということかもしれない(実際、数分遅れで置いて行かれたことは無くいつも待っていてくれた)

徳島駅は地上駅なので発車後すぐに大きな踏切がある、徳島運転所から出てくる車両もこの踏切を通るのでこの踏切の先に両渡り線があって高徳線と徳島線が徳島駅のどのホームにも入れるようになっている。 もう1つ踏切を過ぎると少しづつ登って高架線になっていくが、ここは次の佐古駅まで単線並列という全国でも珍しい配線となっている、徳島駅から阿波池田駅へ向かう徳島線が南西側(左側)で北東側(右側)を高松駅へ向かう高徳線が走る。 複線であれば左側通行なので、すれ違う場合はお互いの右側を対向列車が通過するが、この区間では徳島線と高徳線が専用線であるかのように上り・下りとも同じ線路をつかう単線なので対向列車が左側を通過するすれ違いが体験できる貴重な場所である。 徳島駅を出て佐古駅の手前で右側の高徳線から徳島線側の佐古駅1番線に入る片渡り線があり、佐古駅の先に両渡り線があって、高徳線の徳島駅行きが1番線に、徳島線の徳島駅行きが高徳線の2番線に入れるようになっていて高徳線がこの駅で待避することや、どちらかの線路に支障があった時にもう一方の線路を使って運転できる、よく考えられた線路配置である。

高架線のまま進むと小さい川を渡り、いよいよ吉野川を渡る、とにかく大きな川でトラス鉄橋がいつまでも続く。 住宅や工場が少なくなり大きな高校が右手に過ぎて勝瑞駅(しょうずい)に8時30分着、相対式で2番線が1線スルーのようだが駅舎のある1番線に到着した、この駅からかなりの乗車があった。 池谷駅を通過する「特急うずしお」に鳴門線から高徳線の高松方面に乗り継ぐ場合池谷駅と勝瑞駅間の運賃は、特例で途中下車をしなければ不要となり池谷駅で乗り換えた扱いになるが、特急料金は勝瑞駅から高松駅や途中の下車駅まで必要となる。 区間外乗車と呼ばれる規則だが、同じことが佐古駅と徳島駅間や佃駅と阿波池田駅でも適用されるが、池谷駅に停車する「特急うずしお」には適用出来ないので注意が必要だ。 元の吉野川を渡ると工場や住宅地が遠くに離れれて蓮根畑の中を進み池谷駅(いけのたに)に8時33分島式ホームがV字型に高徳線と鳴門線がそれぞれ分かれていて面白い配置の跨線橋で結ばれている無人駅の2番線に到着した。

左にカーブしている池谷駅高徳線ホームから、そのまま90度曲がり西を向くとそれら蓮根畑もなくなり、住宅が点在するようになって四国八十八カ所霊場の一番札所が近い板東駅を通過する、ここから軽快なエンジン音を響かせ一気に加速する、GPSの速度計アプリを見ると95Km/hだった。 さらに普通列車の多くが折り返す板野駅(いたの)2番線に8時39分到着、ここは島式ホームが2つだったものが1線廃止になり島式で1,2番線と単式の3番線となっていて駅舎へは跨線橋で渡るようだ、1番線に高松駅発徳島駅行きの普通列車が先着していたがかなり空いていた。 ここを出ると北へ進路を変えいよいよ登りにさしかかるが2700系はエンジン出力に余裕があり、カーブでは振り子が効いて減速しなくても良いので緩い勾配を381系電車のような揺れ戻りもなく座っているのでとても快適な乗り心地で大坂越を登る、車体傾斜装置付きの気動車を走らせる為には線路もきちんと整備をしておかねばならず、とにかく重い気動車が安全に走れるように保線という陰ながらの努力の積み重ねがあってこそだろう、そしてトンネルとトンネルの間から瀬戸内海が見え隠れしてすぐまた登りになるがそこれが大坂峠で徳島県と香川県の県境になる。 峠を鉄道は迂回し道路は登るのがほとんどだが、この大坂越は鉄道は登って国道は大きく迂回する珍しい区間だったが、高速道路は最短距離を直線的に抜けるようになった。  

香川県に入り、時々海が見えるようになって讃岐相生駅や引田駅を通過する。 海はさほど遠くないが建物が連なりほとんど見えない。 8時53分讃岐白鳥駅(さぬきしろとり)の1線スルーになっている駅舎側1番線に到着、ここは無人駅のようだが相対式2番線に駅舎は無いが外への出口があった。 続いて、8時57分三本松駅(さんぼんまつ)ここも駅舎前の1番線に到着したが、2番線に「特急うずしお5号」が先着してこちらを待っていた、2両編成のためか満席で立ち席も目立った。 この駅で高松駅へ折り返す普通列車も多く、また全ての「特急うずしお」が停車し、保線車両の留置線まである大きな駅だが東かがわ市の代表駅はここではなく1つ前の讃岐白鳥駅だ、市役所への距離の都合だろうか。 8時58分定刻に三本松駅発車。 ここからは100Km/h越えで快走するが丹生駅を過ぎてしばらくするとこの辺りでも瀬戸内海が時々見える。 9時10分に普通列車が待避しているオレンジタウン駅を通過して、9時12分志度駅(しど)到着。 橋上駅になっていて、1番線が単式で到着した2番線と対になる3番線が島式になっている大きな駅で、ここも全ての列車が停車するし改札口もある、琴電志度駅とは隣接していないが近い。 再び「指定席は満席で、自由席からの振替は出来ない」とのアナウンスがある、自由席の混みようはかなりのようだ。  屋島駅(やしま)の島式ホームの2番線に定刻9時19分着、やがて反対側の単式1番線に2600系の「特急うずしお7号」が到着し出て行ったが先ほどとは違いかなり空席があった、2編成しかない2600系は貴重なのだが。 ここまでくると高松の市街地となりその中を軽快に走って栗林駅(りつりん)に9時24分着。 昔は、高徳線が地上を走りそれを琴電が高架で越えていたのを後から高徳線が高架化されたことによりこれだけの高さになったのだろうかなり眺めの良い駅になったら、琴電は元のままだ。 その琴電には駅が近くにないので乗り換えは出来ないが下車客はいらした、高松市中心部へはここから遠くない。 1線スルーの1番線に停車中の三本松駅行き普通列車は座席の半分位だろうか、かなり空席が目立ったので先着したこの普通列車からもかなりの下車客があったのかもしれない。 9時25分、栗林駅を発車した。 栗林駅よりも、更に栗林公園に近い名前もずばり栗林公園北口駅を通過して、大きく横になったUの字を描くようにカーブして、高松駅へ向かう。 岡山駅行きなので高松駅から向きが変わるが再び宇多津駅で向きが変わるので座席はそのままでとのアナウンスがあり、高松駅(たかまつ)到着が近いことがわかる。

やがて予讃線と並走するようになり、高松駅のすぐ手前に渡り線があって予讃線側へ入れるが高徳線はそれを利用せず1,2,3番線の架線が張られていない専用ホームに発着する。 2番線は1番線の先端部にある切り欠きホームなので1番線と向かい合う3番線に定刻の9時31分に到着。 宇高連絡船があったころは、もっと海よりに駅があったが連絡船が廃止になり線路を伸ばしておく必要がなくなって、元の高松駅跡にはJRのホテルが建っている、頭端式のつまり行き止まり式の駅なので跨線橋がなくコンコースから改札口そしてホームまで徳島駅と同じバリアフリー駅とも言えるが、頭端式の高松駅は改札口に近い車両だけが混むという事になるだろう。 ここで三分の一くらいが下車して、空席が目立つようになって9時33分高松駅を後ろ向きに発車した、すぐに予讃線側へ渡ってさきほど走った高徳線の線路と並走し、左に高徳線が離れていくと今度は反対の右側に高松運転所が見えてくる。 上下線に挟まれて広い操車場を過ぎると左に大きくカーブして海から離れると香西駅を通過、この駅を過ぎて右手に高松貨物ターミナルが、予讃線と少し離れてあるが貨物列車は次の鬼無駅から入っていくようになっているので貨物列車を眺めるには鬼無駅の方が良い。 9時44分に端岡駅を通過する、この駅には0番線がある。 私鉄に線路の両側にホームを設置して車両の両側のドアを開けることで車内を通り抜けて隣りのホームへ行ける駅があるが、ここもその造りになっていて単式0番線と島式1番線は線路を共用していて島式なので2番線に到着した列車から駅舎前の0番線まで1番線(0番線)に停まっている列車を通り抜けて改札へ行けるし、逆に改札を入り0番線に停まっている列車を通り抜けて2番線に停車中の列車に乗れるようになっている。 また、その島式ホーム1,2番線より高松駅寄りに島式の3,4番線下り列車用ホームがある。 これは元あった待避線を利用してホームを増設したらしく そのため、ホームが平行してなくて、直線的にずれている珍しい構造になっているが、「特急うずしお」は一瞬で通過してしまうのでよく見えなかった。

坂出駅を通過すると大きな分岐に差し掛かる、予讃線から瀬戸大橋へ向かう短絡線が右に分かれていく。 この分岐は宇多津駅(うたづ)構内の扱いなので、運賃計算は宇多津駅経由でされるが実際に運賃計算通り宇多津駅ホームまで行って本四備讃線で岡山駅方面へ向かうのは「特急うずしお」だけである。 分岐を過ぎると今度は瀬戸大橋から来た本四備讃線の線路が右側から近づいてきて宇多津駅に到着する際に渡り線を2つ渡って3番線に定刻9時50分に到着。 こちらの到着を待っていたかのように4番線から琴平まで延長運転された「寝台特急サンライズ瀬戸」が回送電車として高松運転所へ戻って行った。 時刻表では、高知からの「特急南風6号」は宇多津駅に9時55分に到着し、「特急うずしお6号」の後ろに併結されるのだが遅れて9時59分に到着して併結された。 4番線から高松駅行き普通列車が10時ちょうどに発車していき、更に2番線には岡山駅からの特急しおかぜ5号8600系電車が到着した、繁忙期なので高松駅発の特急いしづち5号は運休となってその分の3両も岡山駅発となり合計8両編成だったが、車内はもちろんデッキまで満員だった。

10時2分に宇多津駅を発車した、車内アナウンスによると4分30秒遅れらしい。 再び、座席は進行方向向きとなり、ここからは本四備讃線だ。 高架駅である宇多津駅からさらに登り坂出駅からの短絡線が合流していよいよ瀬戸大橋にさしかかる。 新幹線と在来線をそれぞれ複線で通れるようにこの橋は造られているが、在来線だけとなったので新幹線用だった西側に児島駅行き線路が通っている。 10分ほどで渡りきり鷲羽山トンネルに入る。 10時14分島式2面4線の児島駅(こじま)2番線に10時15分着、この駅からJR西日本となるので乗務員が交代するために数分停車する必要があり、遅れは解消されず10時17分に発車した。 かつては快速マリンライナーではなく普通列車が宇多津駅方面へ走っていたが今は、廃止されているので岡山からきた普通列車はここ児島駅で折り返すので下り四国方面行きでの列車待避は無い。 宇野線の茶屋町駅までは複線の新線区間を快適に走り10時24分茶屋町駅を通過したが遅れは取り戻せていないだろう。 ここから宇野線となり単線となる、追い抜きと列車交換が無ければ単線でも同じだが、妹尾駅にアンパンマンと列車交換する為10時28分運転停車し、さらに岡山駅到着前のアナウンスが流れる中で備中西市駅に10時34分運転停車してマリンライナーを待った。 

岡山駅(おかやま)8番線に6分遅れで到着。 指定席車には空席があったが、自由席車は満員だったようで降りるまで少し時間を要するだろう、そして連休なので階段やエスカレーターも大変な混み方だった。 岡山駅で在来線へ乗り換えるなら、地下コンコースか姫路駅寄りの跨線橋の方が空いているはずで、この日も中央改札前では立ち止まりどちらへ行けば良いのか表示を確かめる人たちであふれていた。 在来線ホームからここへ上がってきて左へ進めばすぐ新幹線の改札口になるので標準乗り換え時間は8分となっているが、連休中は人が多くて岡山駅に慣れていなければ無理だ。 繁忙期の乗り換えに時間の余裕は大事と改めて感じた特急うずしおの旅だった。

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鉄道の記録

19648(高山市)

2022年5月3日、猪谷駅からキハ25系の普通列車に乗り高山本線高山駅に降りた。 この駅は1番線が単式で2,3番線が島式の駅だが側線や待避線がいくつも引かれ、新型への交代を控えた「特急ひだ」のキハ85系や普通列車用キハ25系などの車両が何編成も停留している。 昔は地下道だったように思うが今は橋上駅となり、階段を登って東西自由通路に面した改札を出て左側、西口方面へ歩く。 エレベーターがあるのでこれを使って降りると西口の駅前ロータリー正面に出れる、階段で降りると南側へそれてしまい降りてから戻ることになる。 この駅前ロータリーの北側には線路沿いに公衆トイレがあるだけの広場がある。 元はここに高山機関区の扇形庫があったのだろうか、かなりの広さがある広場は北半分が駐車場になっているので広場を斜めに横切り通りを北へ歩くのだが、正面に高山合同庁舎という建物があってこれを目標に歩く。 

 高山合同庁舎のビルは、高山本線をくぐってきた道路との交差点にあるがここには横断歩道が無いので、左側にある交差点までずれて横断歩道を渡り、またこの通りまで戻ってくるしかない、文字で書くと大変そうだが実際には大きく迂回するわけではない。 コンビニがあるので、飲み物などはここで買うのが良いだろう。 駅前の広場を横切って通りに出た時から、おぼろげに機関車などが見えているが看板が邪魔をしていて判りにくいが、ここまで来ると蒸気機関車と除雪車と判る。 元は、別の場所に展示してあったものを移設したようだが、駅から歩いて5分というとところか、子供たちが大勢遊びまわっている昭和児童公園に到着する。 この公園にもトイレはある。

 この[19648]はきちんと手入れがされていて[キ132]と共に大事にされていることが判る。 本来なら、[キ132]を前にして[19648]が後ろから押すという縦並びで展示してあれば[19648]の助士側も良く見えるのだが、長くなってしまうので横並びでの展示となったのだろうか。 [19648]の運転士側(左側)は駐車場に面していて機関車の全体を撮影するには停めてある車が邪魔になるが、模型造りの参考資料用に部位ごとに撮影する分には駐車してある車は問題ない。 

 この公園の北側の通りを右に(東向き)に歩くと、高山本線の踏切に出れる、公園でも踏み切りの音が聞こえるくらい近い。 ここでは高山駅を出発して来た列車や高山駅に到着する列車のどちらもが狙えるが、線路が直線であるために踏み切りの外からは遮断器や電柱がちょうど重なってしまうのが残念だった。 この踏切から見える東側の大通りを南下して、街を眺めながら高山駅東口に戻ることが出来るが、線路からは少し距離があって、建物も並んでいるため列車は駅に着くまで見えなかった。

 高山駅は、改札口脇きにキオスクがあり駅弁も売っていて、その奥の待合室にはかなりの数の椅子があって列車の待ちが出来る。 帰りの富山行き「特急ひだ11号」はグリーン車や指定席車は満席で、自由席には立たれる方もいらした。

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鉄道で道行

磐越西線(郡山-会津若松,1225M)

令和4年11月23日 勤労感謝の日、上野駅から東北新幹線に乗り郡山駅で降りた。

福島駅寄りの在来線連絡改札口を通り1番線へ降りる。 待合室の隣りにあるNewDaysが無人化されセルフレジだけとなっていた、しばらく様子を見ていると入っても店員が居ないためそのまま出て行ってしまう方、商品を手に取ったがセルフレジをどのようにして良いかわからず品物を戻して買わずに出て行かれる方などがおられ、買われた方は旅行鞄を曳いていた女性おひとりだった。 平日であれば、学生や通勤客などがSuicaで買い物をするのかもしれないが、将来は撤去され待合室に編入されるような気がした。

発車まではかなり時間があるが、会津若松駅からの1226Mが8時48分定刻に到着し、車内清掃がないので到着後すぐ乗車できた。 今回の1225M・E721系電車は会津若松駅←[クモハ721-13][クハ720-13]→郡山駅で仙台車両センター所属、つまり仙セン。 郡山と若松の間は、高速バスと競合しており料金や利便性などはバスが有利なようだ、しかし高速バスへの対抗からか磐越西線のE721系にはボックスシートもあり、会津若松まで乗り通しても楽である。 ワンマン運転なので2両編成、4人掛けボックスシートにそれぞれ一人とドア横に数人が乗車して9時15分郡山駅を定刻に発車した。 郡山駅と会津若松駅の間は通勤通学時間帯や観光シーズンにはかなり混みあい座れないこともあるが今日は祝日なので空いている。 ちなみに、指定席のある快速は4両編成で、普通列車も4両編成で走る事の方が多い。 乗車した車両には、地元の方と思える初老の男性と高校生くらいの男の子以外は、小さな旅行鞄や土産袋を持っているので帰省される方々と見受けられる若い方が数人だけ、しかもだれにも話しをする相手がいないので電車の走行音だけが聞こえる静かな旅立ちである。

郡山駅を出た会津若松駅行き1225Mは、東北本線の線路とは別線で一番西側を北上するが、右手の東北本線の向こうに磐越東線用キハ110系気動車が見える。 やがて新幹線高架をくぐり西へ向きを変え、しばらく市街地を走り奥羽大学が右手に見えると 郡山富田駅(単式)に9時19分着、無人駅だが郡山駅を出て最初の駅なので全てのドアが開き6人が降車された、Suicaか切符を持たないで乗車されることは無いとの判断だろう、下車客のうち3人がICカードをタッチして改札口を出て行かれた。 喜久田駅(相対式)9時24分着、列車のほとんどが駅舎のある1番線に発着するが 2番線に快速あいづ2号郡山駅行き3232Mが先着していて、こちらの到着を待って発車していった、最前方のドアのみ開いたが降車客はなく乗車客もなかった。 安子ヶ島駅(相対式)9時28分着、ここも駅舎側1番線が使われ2番線は列車交換時のみ使われる、ここでは降車客が一人いらした。 1225Mは時速88キロで快調に走り磐梯熱海駅に9時32着、この駅では列車交換が行われないダイヤになったが駅舎側1番線ではなく2番線に着いた、1番線は分岐の速度制限がきついので下りは2番線なのだろうか、その2番線は島式だったが3番線は廃止されて相対式となっている、有人駅なので全てのドアが開き3人降車され3人が乗車されたがそのうち二人はご夫婦のようで、乗客が全員一人旅ということではなくなった。 喜久田駅と安子ヶ島駅そしてここ磐梯熱海駅にも跨線橋が設置されている。 ここを過ぎると山々が迫りきて、旧中山宿駅を通過し現在の中山宿駅(単式)に9時38分着、元の中山宿駅は郡山駅から来て頭端式2面3線に停車し、タブレットを受けて後退しスイッチバックを登り、再び会津若松駅方面へ進む Z字型になっていたが やがてこの駅に停まらない列車はスイッチバックせずに登れるようになり、中山宿駅を眼下に見下ろして通過していくようになり、駅は元の位置よりも会津若松駅寄りに移設されたが、今回は乗降客なしであった。

右に電化前まで使われていたという古いトンネルを見ながら、こちらも短いトンネルを通過する。 左に国道49号線が近づいてきて、かなり登ったところで、右側に沼上水力発電所が見える。 猪苗代湖の湖水を地下水路で通して発電しているので、猪苗代湖の水面はあの導水管よりも高いことになる、よってまだまだ登りが続く。 次のトンネルで峠を登り切り、出るとすぐ沼上信号場となるが列車交換がないので通過し、上戸駅(単式)9時46分着、岩越鉄道として開業した時は郡山駅から来てこの駅が終着駅だったが列車交換設備も撤去され今は小さい駅になってしまっている。 猪苗代湖畔駅(単式)にはもう何年も停車する列車はなく、1226Mもそのまま通過して、関戸駅(相対式)9時50分着、駅舎前1番線に停車し最前方のドアだけが開くが、上戸駅に続きこの駅でも乗降客はいなかった、この駅は跨線橋がなく構内踏切で2番線へ渡る。

磐越道をくぐるが、この磐越道のルートがもともと若松と二本松を結ぶ街道があり楊枝峠と呼ばれていて中山峠よりも距離は短いが険しいのだろう、鉄道と国道は南に峠を迂回している。 そして川桁駅(相対式)9時53分着、磐梯急行電鉄という軌間762mmの軽便鉄道が沼尻駅まで硫黄輸送のためにこの駅から出ていた。 コッペルなどの蒸気機関車もあったようだが、猪苗代町にDC121ディーゼル機関車が保存されており、HOナローの模型でも有名である。 石油精製で出来る硫黄に価格で負けてしまい、ついに急行も電車も走らないまま廃止となったようだ、このような歴史のある川桁駅から2人乗車。 ここから、磐梯山を右手に眺めながら田んぼの中を快走して猪苗代駅(相対式)に9時59着。 列車交換のため2番線に到着し駅舎前1番線に到着する上り列車を待つ、駅員が居るので全てのドアが利用可能となり 1人降車され2人乗車された。 この猪苗代駅は郡山駅と標高差がおよそ300メートルあり、そのため中山宿駅ではスイッチバック式で高度を稼いでいたわけだが、郡山駅から猪苗代駅まではかなりの距離があることが幸いして少しづつ登り最後に中山峠を登り切れば、本州の脊梁山脈の1つである磐梯山の山麓へと出れる。 ここまでは中山宿駅から上戸駅まで国道49号線にそったS字とトンネル内でのS字の2つのS字カーブ程度で登っているが、次の翁島駅から会津若松駅までも標高差は約300メートルと同じくらいだが距離が短い為にかなりの勾配区間となる、そのため震災時の燃料輸送でDD51が登れなくなったのは記憶に新しい。

翁島駅(相対式)10時03分着、乗降なし。 皇室のため貴賓室が駅舎にあったことなど感じさせない静かな駅には跨線橋もなかった。 ここから会津若松駅まで直線距離で10キロと少しで約300メートル下る、そのために右へ左へと曲がりくねった路線となるが かつてED77が牽く客車列車でここを通るたび 右に左に赤い機関車が見え隠れしたことを思いだす。 時速65キロで下りながら 列車交換がなくなった更科信号場を通過する、駅間の距離が開いているために作られた信号場なのだろうが今は列車交換は行われない。 島式ホームの磐梯町駅10時13分着、この駅は地下通路で駅舎とつながっている為にホームが文字通り島のようにぽっかり浮いているようだ、積雪時の夜には雪原の真ん中で停車しているようでもあるがまだ雪の季節ではなく昼間なので眼下に駅舎が見える。 特急あいづは停まらなかったが、今の快速あいづは停車する磐梯町駅だが昔はここから発電所建設のために軽便鉄道が牽かれていたらしいが発電所は残っていても軽便鉄道は残っていない。 若松へ向かうのだろう、いろいろな年代の方々が乗ってきてにぎやかになった。 右に左にと曲がりながら下り、東長原駅に10時20分着、この駅は1番線と2番線が独立しているが向き合っていないので相対式ではなく単式2面なのは、昭和電工社が費用負担をして通勤の為の駅を作らせたことから昭和電工社に背中を向けないようにと3番線を廃止する時に3番線を2番線としたのかというのは考えすぎか、河東町から今は会津若松市となったこの駅からお一人乗車されてきた。 さらに下ると広田駅(相対式)に10時24分着。 3番線が廃止され島式から2番線だけが残った単式になっているが、その3番線だった先に貨物線が2本残っている。 駅舎が火事で焼けた少し前までは貨物列車が来ていた、セメントの工場があったのでタキだったのだろうか、その当時を知らないだろう高校生が6人ほど乗ってきたて、先着していた上り列車が出て行ったあとこちらも発車した、高校生たちは座らないのでどのボックスシートも一人か一組づつしか乗っておらず、快適な列車は終着の会津若松駅へさらに下り始めた。

会津盆地へ下りて土地が開け集落が点在している中を時速90キロで快調に走る。 右に新津駅からの線路が合流して並走し、国道49号線をくぐればやがて右手に扇形庫が見えてくる。 戦前に作られた扇形庫だが収容は15線あり、今となっては梅小路機関区の20線と津山機関区の17線につぐ大きさではないだろうか、ここの隣になる新津機関区が14線で(会津若松が)1本勝っていると昔聞いた覚えがある。 その新津とここ会津若松の転車台は下路式という珍しい方式で、梅小路や津山などほとんどの転車台が上路式なのは積雪量に関係するのだろうか、下路式の方が転車台坑が浅い。 転車台の線路が桁の上にあるか下にあるかの違いで鉄橋でも上路式と下路式がある、例えば御茶ノ水駅や神田川にかかる聖橋という道路橋が上路式でその下にかかる丸ノ内線の鉄橋が下路式である。 C11が去ってからはしばらく気動車車庫となり時々強力高速除雪車DD53がやってきて異彩を放っていたがそのDD53がC57に代わって「ばんえつ物語」を牽引したのもはるか昔のこととなり、そのC57も鉄橋流出で運休となり来れなくなってしまっている。 只見線も復旧し、やがて磐越西線も復旧したらC58がやってくることを夢みているうちに、会津若松駅1番線に定刻10時31分到着した。